望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

変質した革命

 中国の各地で、コロナウイルス対策によるロックダウンなどに抗議する動きが発生し、中には共産党の独裁統治を批判する声も上がったと報じられた。ちょうど、習近平氏の個人独裁が固まりつつあると見られるタイミングで、人々が不満や批判を行動で示し始めた。独裁する権力が人々に妥協するには限度があるだろうから、融和策とともにいっそうの締め付け強化が行われる可能性がある。

 さて、中国共産党が独裁統治をいつまで続けることができるのかは不明だが、未来永劫に続けることができるものでもあるまい。共産党の統治に民意が素早く反映されるようになるとともに経済成長が続くなら、共産党の独裁統治はしばらく続くだろうが、強権で人々を抑圧し続けるとともに高度経済成長が終わったなら、人々の不満は蓄積する。

 中国共産党の独裁統治の終わり方は、いくつか考えられる。穏やかなパターンは①中国共産党の独裁が続くが、共産党が変質し、社会的には自由度が増す、②自由選挙が導入され、共産党が下野するーなどだ。共産党既得権益が維持されるのなら共産党&党員は変化を受け入れるだろうが、下野した共産党の過去の所業は厳しく検証されるだろうから、共産党は厳しい立場に立たされよう。

 急激なパターンは①人々の不満の受け皿がなく、人々の不満が暴発して共産党が打倒される、②共産党内で路線対立が高まり、分裂する、③軍が権力を掌握するーなどだ。いずれも共産党の1党独裁統治は終焉し、長く続いた独裁統治の検証が避けられず、独裁統治に対する揺り戻しが起きて社会は混乱する。

 中国の未来は中国の人々が決めるべきだが、共産党の独裁統治によって人々は中国の未来を決めることができない。中国の人々が、おとなしく従っている間は共産党の独裁統治は続くだろうが、今回の各地での人々の抗議は、人々が時には声を上げることを示した。共産党の独裁統治が強権により人々を抑圧することに支えられているとすれば、天安門事件のように流血を伴う弾圧は繰り返されよう。

 革命戦争を戦った世代は、勝利して築いた革命体制を守るために革命体制の批判者らの流血を厭わないとの説がある。戦場に倒れた同志の死に報いるために流血を厭わず革命体制を守るという見方だ。今の共産党の幹部は革命戦争を実際に戦った世代ではない。おそらく今の共産党の幹部には革命体制は所与の体制で、死んだ同志に対する負い目といった気持ちはないだろう。

 戦場に倒れた同志が夢見た中国の革命は変質した。中国は、共産党の幹部とそれに関係する人々が特権階級化し、労働者らへの凄まじい収奪により輸出立国となって経済成長した。革命体制に歴史的な意義があったとしても、その歴史的使命はとうに終わっている。戦場に倒れた同志の死の意味を真剣に考えたなら、人民に君臨する革命体制(=共産党の1党独裁)を必死に維持することの愚かさが見えてくるだろう。