望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

時代についていけない

 森喜朗氏の「不適切」な女性蔑視発言は、日本社会で女性の地位が低い状態のままであることを可視化した。さらに世界の男女平等ランキング(ジェンダーギャップ指数)で調査対象156カ国のうち日本は120位であり、指導的地位にいる女性の割合が少なすぎることなどが問題点として報じられたが、たちまち、新聞社やテレビ局などでの女性役員の少なさを批判する声が現れた。

 「第四の権力」として国家権力を監視し、批判する大役を担う新聞社に人々が向ける目は厳しくなっている。インターネットには新聞社やテレビ局が報じない内外の情報が大量に流れ、新聞やテレビを見なくても人々は多くの情報を得ることができる現在、大所高所から権力や社会を批判し、人々に向けて御高説を発信していた新聞社の存在価値が薄れたことは確かだろう。

 その新聞社は経営面でも厳しくなっている。紙に情報を印刷して配送し、販売店が家庭に届けるというビジネスが、インターネットが普及し、さらに、どこにいてもスマホでいつでも情報を得ることができるという時代についていけなくなった。各社の発行部数はハイペースで減少を続け、希望退職を募集するなど事業規模の縮小を繰り返す。構造不況業種だな。

 こうした状況はインターネットが普及し始めた頃から予想されていた。すでに米国では新聞社の統廃合が進んでいて、日本の新聞社には対応策を検討し、展開する時間的な余裕は十分にあった。だが各社から大胆な対応策は出て来ず、時代の変化に対応した斬新な発想が簡単に生まれるものではないことを新聞各社は示してみせた。

 各社はホームページを作ったものの、課金にとらわれすぎるためか、紙の新聞に比べてもニュースなどの情報量が少なく、情報の更新も遅い(紙の新聞には原稿の締め切りがあるが、インターネットには締め切りはない=いつでも締め切り)。紙の新聞より大量の情報があって情報源として魅力があると人々に思わせなければ、新聞社サイトはポータルサイトと同列の存在でしかない。

 紙の新聞の発行部数は減るばかりで、自社サイトは収益減にいつまでも育たず、リストラで社員を減らして不動産収入に頼るだけとなっては新聞社は先細り。毎日新聞社は大阪本社ビルを銀行に譲渡して資金を借り入れ、運転資金に充てるという。同社は資本金を1億円に減資したことも話題になった。税制上は中小企業の扱いとなり節税につながるというが、経営の余裕がなくなった現れだ。

 監視や批判が緩めば権力は腐敗し、強権的に振る舞い、説明責任を軽んじ、企業や官僚と癒着したりすることは最近の日本の例が示している。権力を常に監視し、批判する存在は民主主義社会に不可欠だが、経営難の新聞社がその役割を担うことはいつまで可能か。インターネット上に、権力監視の公共的な役割を担う新聞社に代わる存在はまだ現れてはいない。