望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

共感する力

 8月に入ると新聞紙面には戦争に関する企画記事が増え、テレビでも戦争に関するドラマや検証特番が増える。戦争といっても、世界各地で現在行われている戦争がテーマではない。取り上げられるのは、日本が直接関わった先の戦争である。中東やアフリカなどで現在も行われている戦争についてはニュースとして報じられることがあるだけだ。



 でも8月15日が過ぎると、そうした企画記事や特番などは次第に消え、次に現れるのは12月だが、その量は8月より遥かに少ない。8月には2度の原爆投下、終戦と大きな出来事が続いたため、先の戦争の“記憶”が呼び起こされるのかもしれない。一方で、新聞社やテレビ局でも社員が夏休みを取るため、事前に作り置きがしやすい戦争関連の企画記事や特番が増えるともいわれる。



 送り手側の事情はさておき、日本のマスコミが、日本が戦争に直接関わった記憶、つまり、日本人の「戦争体験」を掘り起こし、伝えることを重視していることは間違いない。自国が関わり、自国民が体験した戦争をマスコミが重視することは当然だが、受け継ぐべき「戦争の記憶」は、日本が直接関わったものだけではあるまい。



 戦争に巻き込まれた人々は、平時には想像もつかない多くの悲惨な体験をする。それを後世に伝えていくことには意義がある。だが、日本人の体験だけが戦争体験の全てではない。戦争には様々な態様があり、また、技術や経済力の発展とともに変化するのだから現代の戦争は、日本人が過去に体験した戦争には見られなかった別種の悲惨さを持つ。日々のニュースで、それらを伝えきれているのだろうか。



 日本が直接関わった戦争は(今のところ)数十年以前のものだけであり、それだけを特別扱いしすぎると、「昔の戦争で日本人は大変だったけれど、今の日本は平和で良かったね」と現状を肯定するだけで終わる。日本が平和であることは慶賀すべきだが、世界が平和になったわけではなく、各地で戦争は起き、世界は戦争の「記憶」に溢れている。



 日本や日本人が関わった戦争と、他国や他国人が関わった戦争に、悲惨さや愚かさにおいては本質的な違いはあるまい。戦争の「記憶」は、他国や他国人が関わった戦争からも受け継ぐことはできようし、現在行われている戦争からも「記憶」を受け継ぐことはできるはずだ。



 それには、共感する力が不可欠となる。数十年前の日本人の体験、記憶に共感するのと同じように、世界各地で戦争に巻き込まれる人々の悲惨な体験、記憶に共感できるなら、それらを受け継ぐこともできよう。共感する力が乏しければ、日本人の「戦争体験」だけにしか興味、関心が向かないだろう。