望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ネットが先か、新聞が先か

 新聞紙面に載っている記事を、どこまでインターネットで公開するかは各社によりまちまちだ。積極的に無料公開している新聞社もあれば、限定的に無料公開している新聞社、有料公開をメーンにしようとする新聞社など、ネット戦略はバラバラ。ネットは新聞社にとって、紙の新聞の単なる電子版か、情報提供の新たな可能性を秘めた場か。



 ネットを収益源にしようと各社とも考えているのだろうが、ネットでの閲覧に課金して収益を上げるのは簡単ではない。収益を重視して有料記事を増やすとページビューは減り、無料記事を増やすとページビューは増えるかもしれないが、コスト割れになる。そもそも新聞紙面に載っている情報しかネットに上がっていないのだから、新聞を購読している人が、金を払ってまでネットで記事を見る意味が乏しい。



 だから、新聞社がネットで有料記事の閲覧者を増やして収益を上げるには、新聞紙面には載っていない記事や分析、コラムなどを大幅に増やし、それらを有料とすることが手っ取り早い。紙の新聞を補完し、さらには、より多くの情報を入手できる場となれば閲覧者にとってもメリットがある。ただ、ネットを見ない紙の新聞の読者からは不満が出よう。



 例えば、日経には本紙のほかに複数の新聞媒体があるように、紙の新聞とネットを別の媒体だととらえ、配信する記事やコラムなどを振り分けることも選択肢だ。だが、新聞社はネットを紙の新聞の二次的媒体としか位置づけていないから、限定された情報しか載らない見栄えのしない場になってしまっている。



 どうすれば新聞社サイトは、魅力ある新たな情報発信の場になることができるか。紙の新聞には公器としての社会的信頼がまだあるのだから、収益にとらわれすぎずに、ネット空間を活用した「新たな新聞」について試行錯誤して欲しいものだ。紙がネットに脅かされているという危機感よりは、新たな情報提供、表現、言論の場をネット上に構築するという意気込みこそが必要だろう。



  古い世代にとっては、紙の新聞を読む体験が先にあり、ネットに接したのは人生の途中からだが、若い世代は子供の頃からネットがあった。ネットを使う体験が先にあり、新聞を読むのは後からの体験だろう。だから新聞社サイトを、古い世代は「新聞に載った記事がネットにも出る」という感覚で見ているが、若い世代は「ネットに載ったニュースが新聞にも出ている」感覚か。



 世代は交代し、ネットに先にニュースが載ることを当然視する世代が主役になると、紙の新聞の位置づけは低下しよう。やがて、「新聞が先」という世代は少なくなり、「ネットが先」世代が多数を占める世の中になる。そうなると、ネットにおける情報発信の豊かさが当然視され、有料記事で読者を囲い込む戦略の新聞社サイトは見向きもされなくなる。