望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

号外の精神

 突発的に大きな出来事や事件などが生じると、電波メディアに加えインターネットでも速報が流れる。事故や災害などでは遭遇した個人がメディア企業よりも先にSNSなどで情報を発信したりするようにもなった。そうした個人発の速報の信用度は定かではないので、個人発の速報を知った人は、後からメディア企業の速報で確認することになる。

 新聞社が号外を出すのは速報が目的だったが、時代は変わった。電波やネットで流れる速報を知らない人向けには、街頭で配られる号外は速報の役割をまだ保っているが、号外が刷り上がって街頭で配布されるまでの時間に、さらに多くの人が電波やネットで速報を知る。速報性を重視するなら、印刷媒体は不利な時代になった。

 しかし、速報を知っている人達も号外を喜んで受け取る。中には、電波やネットで速報を知ってから、出されるであろう号外を入手するために出掛けてくる人もいたりするとか。号外は、歴史の一場面に立ち会っていたことの記念物と見なされているのかもしれない。さらには、新聞社が宣伝目的をかねて発行するとの指摘もあり、TVニュースでは、題字がしっかりと見える号外を受け取る人々が映る。

 速報という目的が希薄になった号外だが、新聞社は発行することをやめない。速報を知らない街行く人が、受け取った号外を見て驚く姿が、新聞社としての使命感を呼び起こし、充実感を与えるのか。世の中で起きていることを一刻も早く知らせるという使命感を新聞社の基本として考えるなら、新聞社の今後の活路が見えてくる。

 ネット時代になって紙の新聞の存在意義が問われるようになった。速報性では圧倒的に劣勢なのだから、分析や評論などに重点を移すべきとされたり、細部よりも出来事や事件などの全体像を読者が把握できるようにすべきとか、資料として活用できるように記録性を重視すべきとか、様々な“活路”が示された。

 一方で、ネットに新聞社は積極的に対応すべきだと誰もが考えるのだろうが、立ちはだかるのが「収益性の壁」だ。すでにネットでは、無料でニュースを見ることが定着しているだけに、今さらニュース閲覧を有料化しても、囲い込むことができるのはごく少数になるだろう。無料では収益は得られず、有料化すると売上げがガクンと減る……ネットと新聞は相性が悪いのか。

 新聞社の重荷になっているのは、新聞の製作・販売に大勢の人員を抱えていることだ。全国の新聞販売店を各新聞社で共有するなら、各社の販売経費は大幅に減る。さらに、印刷工程を分離・外注化して印刷所を各社で共有するなら、さらにコストは大幅に減る。ファブレスで身軽になった新聞社が取材・紙面作成に特化するなら、ネットに期待される収益性は、もっと低いものになるだろう。

 号外が有料だったなら、どれだけの人が買うのか。つまり、ニュースは買うものなのか、無料で提供されるものなのか。無料で提供されるべきとするなら、ニュースは公共財だともいえる。号外を発行するのが新聞社の使命感から来ているとすれば、速報に最適な場でもあるネットでの戦略は、有料化して囲い込むことだけが選択肢とはいえないだろう。号外を発行する精神で臨むなら、新しいネット戦略が見えて来るかもしれない。