望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





メディア批判

 新聞を代表とする既成メディアへの批判が高まっているようだ。批判にもいくつかの潮流があって、1)多数による双方向の情報発信がネットで可能になったから、メディア企業による情報発信独占は終わった、2)記者クラブ制などメディア企業は特権的な情報発信独占を続けようとしている。



 更に、3)新聞は再販制にすがり、テレビは電波利権の埒内にあり、自分らは自由競争に背を向けている、4)メディア企業も既得権益層の一郭にあり、既得権益に対する批判が甘く、改革に後ろ向き、5)原発推進政策の検証を怠ってきたことなど、広告に頼るメディア企業の限界……など。



 一方では、日本が民主主義が機能する社会であり、個人の自由を尊重する社会であり続けるためには、権力を監視し、チェックする「パワー」が必要だ。ネットで情報発信する人が増えたとはいえ、政治を始めとする現実社会に対する影響力では既成メディアの力はまだまだ大きい。



 新聞社もテレビ局もネットでの情報発信を強化しようとしているが、既成事業に影響のない範囲でのトライでしかないので、どこまで本気なの?という印象がぬぐえない。最近では新聞は購読者が減り、テレビは視聴者が減っているという。有力なネットメディアが育たないうちに、既成メディアが弱体化すれば、政治・行政などの権力に対する監視が緩むことにもなりかねない。

 権力を監視・批判し、表現の多様性を維持することは公共の利益でもあるが、それを今のメディア企業が担うことに対する信頼が薄らいでいることが、最近のメディア批判の高まりの背後にあるようだ。歴史的役目を終えた企業が衰退するのは世の習いで、既存のメディア企業に代わる新しいメディアがまだ、ネット世界に確立されていない不安が既存メディア批判に拍車をかけているのかもしれない。