望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

100年に1度

 こんな光景はなかなか見ることができないぞ。たった1日で、リーマンが破綻し、メリル・リンチが身売りし、AIGが資金繰りに窮した2008年。グリーンスパンがTV番組に出演して「100年に1度のことが起きている」と言うなど、アメリカの金融システムがぐらついているのが目に見えたのだから、100年に1度というのもオーバーではないかもしれない。



 そんな大事件が起きていたのに、翌日は新聞休刊日。読者に大ニュースを届けたいと急遽、朝刊の発行に切り替えた新聞社があるかと思ったが、朝、駅の売店を見てもスポーツ新聞ばかり。こんな時こそ、専門家の分析を読みたかったのに。



 新聞休刊日は読者にとって何のメリットもない。販売店対策だというが、読者に新聞を届けず、「ニュースはTV、ネットで見て下さい」というのでは、新聞の存在価値を新聞社自ら薄めている。「こんな新聞や~めた」と宅配を止めて、読みたい時には駅、コンビニなどで買うようにしてもいいのだが、駅売りも新聞休刊日には、お休み。新聞社が印刷しないんだから、読者に新聞は届かない。



 新聞社の存在意義は何なのか。月に1度は、報道するに値しないニュースばかりの1日がある……はずはない。読者離れによる部数減や広告減少など、新聞ビジネスの斜陽化が囁かれているが、新聞社自身に危機感が乏しいようだ。経費削減などで売上げ減少の帳尻を合わせ、新サイトをつくって時流に合わせたようでも、ズレている。新聞ビジネスにおける構造改革が必要なのだが、目先だけの「変身」しか新聞社にはできていない。



 日本の新聞社の国際競争力はどの程度なのだろうか。言葉の壁があるので日本から国際的ジャーナリストが出にくいのだろうと漠然と思っていたが、そもそもの姿勢が違うのではないかとも見える。

 日本の新聞社は、ぬるま湯に浸かり続けて来たのかもしれない。記者クラブ制度などで「ネタが向うからやって来る」し、政府の諮問会議などに幹部記者を入れてくれるし、給料はいいし、TV局を始め関連会社はたくさんあるし……。



 新聞休刊日は、日本の新聞の存在意義を再確認させてくれる。知りたいニュースがあればネットを見ればいい。外報は日本の新聞社のサイトで大まかなスジを頭に入れてから、欧米の新聞社サイトを覗けば、ニュースの全体像が見えてくる。おまけに、翌日の日本の新聞記事を読むと、「な~んだ、欧米の新聞社が昨日、サイトに載せていた内容だ」と見えて来る。



 日本の新聞社は転機を迎えている。表面的な対応だけで、有効な対策が打ち出せていないのは、読者を見ていないからだろう。自由競争がいつでも正しいとは思わないけれど、日本の新聞社にはもう少し自由競争が必要だ。新聞発行を主事業としていくのなら、日本の新聞社は読者と正面から向き合うところから始めるしかない。能書きをいくら並べ立てようと、読者(消費者)が買わなくなれば、おしまい。