望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

読まれない新聞

 新聞各社とも夕刊には苦労しているようだ。企画中心の紙面づくりを各社とも試みていて、作り手の苦労は理解できるものの、企画ものであるから逆に、わざわざ読む必要がないとタイトルで判別される記事も多い。それが一層、夕刊の存在意義を薄めさせているようだ。


 新聞は読まれなくなっているという。過去の調査によると、10~20代では20%以上が新聞を「読まない」といい、首都圏の単身者の半数が新聞を「購読していない」。社会に無関心な人々が増えているともとれるが、新聞がなくてもニュースを知ることはできる。テレビ・ラジオもあれば、ネットや携帯もある。ニュース(情報)への関心は低くなっているとはいえず、サイトへのアクセス数などから判断すると関心は強いといえる。


 グーグルやヤフーのニュースサイトを見ている人は多いだろうが、掲載されているニュースはグーグルやヤフーの抱えている記者が取材しているわけではない。ほとんどが新聞社や通信社の配信である。新聞社の提供するニュース(情報)が読まれなくなっているのではなく、新聞という媒体のあり方が時代に合わなくなっている。


 新聞には「社会の木鐸」という言葉が冠されることもあった。「言論の自由」の尖兵ともされ、国家権力の監視役として第1の席を与えられていた。一方で新聞社は営利企業であり、商売のために「書かない」ことがあることも知られている。自由競争を主張する新聞社が再販価格制にすがり、独占を批判する新聞社がテレビ局への支配を強め、官僚の天下り批判をする新聞社が実は関連会社など多くの天下り先を確保している…。「きれいごとを言えた柄か」という批判に新聞社はまともに答えてこなかったのも確かだ。


 新聞をめぐる状況に構造変化が起き、紙にニュースを印刷して売るという商売が見直しを迫られている。米紙では、ネットでのニュース提供と紙媒体でのニュース提供の性格分けを進めたり、ネットでのニュース提供を有料化したり、コラムなど一部を有料化したりなど、ネットと一体化した新聞のあり方を探る様々な取り組みが行われている。しかし、ネットでのニュース提供が売り上げを支える柱には育たず、相次ぐ米紙の買収ニュースに見られるように経営不振は深刻だ。


 日本でも各社はサイトを持っているものの、せいぜいが読者を囲い込む程度で、ネットを見据えた戦略は感じられない。大半の日本企業のように構造変化に対応する(実態は「構造変化に対応せざるを得ない」)だけでは、「なあ~んだ、新聞社にも時代を見通す目がなかったんだ」と見られよう。