望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





オリンピックは見てない

 

 開催期間中に「オリンピックは見てない」と、ことさらに強調する人がいる。スポーツに無関心な人や話題のイベントに無関心な人もいるから、興味がないのかと思うと、続けて「騒ぎ過ぎなんだよ」などとテレビや新聞の報じ方の批判を始め、「日本人選手のメダル獲得にばかりスポットを当て過ぎだ」などと論じ始めたりする。



 「見てないと言う割に、詳しいじゃないか」と冷やかそうものなら、「テレビのニュースで大きく扱うから、いやでも少しは見せられてしまう」とか「新聞は毎日、相当の紙面を割いて報じるから、目に入ってしまう」などと言い、自分の意思ではオリンピックに背を向けていることを強調したりする。



 オリンピックに本当に関心がないのなら、そうしたニュースが記憶にとどまることはないだろう。テレビや新聞には毎日、雑多な多くのニュースが溢れているが、その大半を覚えている人はほとんどいない。それどころか、テレビや新聞を見ても、興味がないニュースは見たり聞いたりすると同時に忘れていく。例えば、プロ野球に興味がない人は、プロ野球のニュースが大きく扱われていようと、何も記憶にとどめないだろう。



 オリンピックに関心がないと言いながら、オリンピックの報じ方を批判する人は、本当は何を言いたいのか。関心がないというなら、黙っていてもよさそうだが、それなりにオリンピック関連の情報を記憶にとどめ、つい言葉に出して批判する……オリンピックなど世間が大騒ぎするものに距離を置くことを装って、自分を目立たせようとしているように見えないでもない。



 オリンピックの報じ方批判というよりも、オリンピックに関心がないという自分をアピールすることが狙いか。皆の話題に入りたいが、同調するのではなく、批判するという他の人とは違ったポジションをとって見せているだけ。つまり、自己アピールの手段としての批判だから、オリンピックでも何でも批判の対象になり、無関心ではいられない。



 批判しながら、その対象に関心がないふりをすることは、反論された時に役立つ。都合が悪くなったなら、「興味がないから、詳しいことは知らない」と逃げを打ち、後は黙っていればボロは出にくい。そうして、いわば安全地帯であれこれ批判をし、何にでも一家言あるというような立場を演じる。実はTVニュースを熱心に見ていそうな人達だな。