望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

世紀の恋

 

 ナチスドイツのヒトラーを支持したり、讃えることは現在、タブーになっている。だから当時も同じだったかのように思いがちだが、ヒトラーを支持した人は世界各国にいた。例えば米国の「自動車王」ヘンリー・フォード反ユダヤ主義の立場から間接的にヒトラーナチスへの資金援助を行った(児島襄「誤算の論理」所収「『王』たちの誤算」)。



 英国では当時のイングランド銀行頭取が反ユダヤ・反フランスなどの立場から、独銀行界に対する融資斡旋を各国に働きかけ、英国の「石油王」はヒトラー献金したほか、英国内にファシズム支持団体が誕生し、「ザ・タイムズ」などの新聞もヒトラーナチスに対する好意的な報じ方をしたという。



 そんなヒトラー支援者の大物は王位継承者のエドワード(後の英国王エドワード8世)だった。母親のジョージ5世王妃がドイツ系だったこともあってか親独感情を持ち、第一次大戦後の独に同情し、ヒトラー独が再軍備宣言を行うと「当然だ」と述べ、1936年1月に即位してからも英独友好の必要を強調したり、独のラインラント進駐、伊のエチオピア侵攻にも理解を示すなどした。



 だがエドワード8世は1936年12月に退位した。これは、1931年頃から交際を続けていた米海運業者夫人のウォリス・シンプソンとの結婚が英政府に認められなかったためだ。イングランド国教会では離婚が禁じられているため、離婚歴のある女性との結婚には英国民の反対も強かったというが、エドワード8世は王位よりも愛情を選んだとされ、「世紀の恋」「王冠を賭けた恋」などと世界的な関心を集めた。



 退位後のエドワード(ウィンザー公の称号が与えられた)は英国を出て、翌年にはウォリス・シンプソンと結婚したが、英王室からは帰国を歓迎されなかった。1937年にはウィンザー公夫妻は訪独してヒトラーの山荘に滞在するなど、たびたび訪独して歓迎され、英国政府を困惑させた。英独開戦後は、和平交渉に応じるよう呼びかけたりするなど親独姿勢は変わらず、英政府からバハマ総督に任命されて欧州から遠ざけられた。



 「世紀の恋」は、愛を貫くために王位を捨てた大ロマンス物語のように受け止められているが、退位勧告を決定した英の閣議記録は2037年まで非公開とされている。離婚歴がある女性との結婚問題だけなら、退位の理由を秘密にしておかなければならない必要もないはずだから、実は国王の親独言動が退位理由の重点だったとの見方も有力だという。



 常に変化を続けている世界の中で、どんな人間活動にも賛否があるだろうし、それに対する評価が固定化されるには時間を要する。英米などは第2次大戦ファシズムなどに勝利したという歴史認識が一般化しているが、英米にも当時、現在では大悪人とされるヒトラーを支援した人々がいたことを知っておくことは、歴史を重層的に見る感覚を養ってくれそうだ。