望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

隠しておきたかったこと

 1933〜34年頃に撮影された20秒ほどの動画に映っていた、幼少期の英エリザベス女王が母親(後のエリザベス皇太后)とともに右手を上げてナチス式敬礼をする様子を数年前に英大衆紙がすっぱ抜いた。ナチス支持者を疑われた伯父のエドワード王子(後の国王エドワード8世)が、幼少期の女王に敬礼の仕方を教えたと英大衆紙

 親ナチスを疑われかねない英王室のこの映像は過去に公開されたことがなく、初めて明らかになった。バッキンガム宮殿の報道官は「80年も前に撮影された、王室が保有する個人的な動画が、このような方法で利用されたのは遺憾だ」と声明。王室筋はBBCに「大半の人はこの映像を当時の状況を踏まえて見るだろう。当時は事態がどのように進展するか予想できた人はおらず、それ(家庭内でのたわいない遊び)以外の意味を持たせるのは誤解を招く、誠意のない行為だ」とコメントしたという。

 この王室筋のコメントは興味深い。「当時は事態がどのように進展するか予想できた人はおらず」というのは正直な言い分だな。1933年にはヒトラー国家元首に就任、1934年には大統領職と首相職を統合してヒトラーが兼任するなどナチス独裁体制を固めた。1934年には6月に英ロンドンでファシスト連合が集会する一方、9月にはロンドンで10万人の反ファシズムデモが行われるなど、対立が先鋭化していた。

 ナチスが絶対悪とは「まだ」見なされてはいなかった当時、英紙『ザ・タイムス』は「ヒトラー氏の誠実さを疑う者は1人もいない。約1200万人のドイツ人が彼に従ったのは、彼の人間的磁力によるものである」と書く(児玉襄著『誤算の論理』)など、英にも親ナチスの人々はいただろうし、右手を上げるポーズも、現代のようにタブーではなかっただろうから、英王室の面々が「戯れて」ナチス式敬礼のマネをした可能性はある。

 だが、エドワード王子の存在が大きく影を落とす。母親の王妃がドイツ人という王子は親独姿勢で知られ、1936年1月にエドワード8世として即位してからも、英独友好の必要を強調したが、12月に退位する。“不倫の恋”を貫くためとされているが、実際には、親独言動が問題視されたためという(前掲書。退位勧告を決めた閣議記録は2037年まで非公開)。

 エドワード8世だけでなく英王室自体が親独だったとしても不思議ではないから、今回の映像には意外性はさほどない。英がドイツに宣戦布告したのは1939年9月で、1933、34年頃ならナチスに対する評価は割れていただろうが、現在では違う。ナチスは絶対悪であるというのが歴史的に正しい認識とされる現代では、ナチス式敬礼は反社会的な行為とも映る。

 「当時は事態がどのように進展するか予想できた人はおらず」というのは、いつの時代でも、どんな人にもあてはまる。正しいと考えることを言い、正しいと考える行動を人は行うのだろうが、それが、歴史的な評価と一致するとは限らない。むしろ、人々の行動が時代を変えることで、新たな価値観が生まれ、その新しい価値観によって検証し直される。

 第2次大戦前の欧州で、独を含め各国の指導層は反共、反ユダヤ、反民主主義で一致する傾向があったともいうから、英王室に限らず親独姿勢は、探せば欧州各国の当時の指導層からも見つかるかもしれない。人は歴史の中で生きているが、後になって定まる歴史的評価を知るはずもないから、時とともに、都合が悪い事実を隠蔽、偽装するのは珍しくない。