ロシアがウクライナに侵攻して以来、日本でも新聞やテレビなどは連日、ウクライナの情勢を大きく報じ、都市が攻撃されて破壊された様子や困窮する人々、国外に脱出して避難民となったウクライナ人の様子などを伝える。ニュース番組の他にワイドショーでも大きく扱われているそうだ。同様の情報はSNSで大量に発信されている。
こうした情報の提供が連日続くのは、人々の関心が高いからだろう。新型コロナウイルスの感染に関するニュースに代わってウクライナでの戦禍の状況が大きく扱われ、ミサイルなどで建物が破壊されたり、空爆されたりして、嘆き苦しむ人々の様子を映像で見た人々はロシアの非道さに憤りを感じ、戦禍に苦しむ人々への同情心を高めるだろう。
こうした報道やSNSなどの情報を日本で見ている人が、戦争の悲惨さを感じ、苦悩するウクライナの人々に共感することができるとすれば、ウクライナの戦時下における人々の体験や苦悩が日本人にも伝わったといえよう。ベトナム戦争などでも日本で大量の報道が戦禍に苦しむ人々の状況を伝え、日本でもベトナム戦争に反対する運動が広がった。
テレビや新聞などで伝えられる外国の戦争を見ることは、戦争の断片的な小さな疑似体験に過ぎないだろう。だが、それでも日本人は戦禍を想像できようから、ウクライナの人々に同情し、その苦悩に共感することができる。テレビや新聞、SNSなどの断片的な情報だけでも日本人に、戦禍に苦しむ人々の記憶は伝わるのだ。
日本では毎年8月15日前後にテレビや新聞に、戦争の記憶の伝承が薄らぐことを危惧する報道が現れたりする。それは日本が関わった戦争を特別視して、「二度と戦争はいたしません」と考えさせる狙いだろうが、戦禍の記憶の伝承は日本が直接関わらない外国の戦争の情報でも可能であることを、ウクライナやベトナムなどの戦争報道と日本での受け止め方が示す。
なぜ、日本が関わった戦争の記憶の伝承をテレビや新聞は特別視するのか。戦争をしない国(戦争ができない国)=日本であることを強調するためだろうが、日本人が体験した戦禍の記憶の伝承に頼り過ぎていると、日本だけが平和であればいいとの1国平和主義に陥る。年月とともに戦争の体験者は減り、記憶の伝承は細るので、戦禍の記憶の伝承が危ういと日本のマスメディアは同じような報道を毎年繰り返す。
日本のテレビや新聞がこだわる記憶の伝承とは個人の体験談の伝承だが、他人の体験談を受け入れるには共感する力が必要になる。共感する力がある人なら、日本人の戦争や戦禍の体験だけではなく、遠い外国の戦争で苦しむ人々の体験にも共感できる。戦争や戦禍に関する日本人の体験談を語ることができる人がいなくなっても、遠い国の戦争や戦禍を伝えることで日本のテレビや新聞は記憶の伝承を促すことができる。日本の人々にも共感する力がある。