望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

目をふさいで、自信回復

鹿おじさん「歴史を理解するとは、どういうことなのだろうか?」
憂国娘  「過去におこった出来事を、その人が納得しやすいように色付けして見るってことでしょう」
鹿おじさん「ある出来事の形を三角錐に例えると、横からだけ見ると三角にしか見えないだろうし、上からだけ見ると円にしか見えまい。立体的に見て初めて三角錐と認識できよう」
憂国娘  「下から見ても円にしか見えないよ」
鹿おじさん「出来事の形を、横からだけ見ようとする人は三角だと主張し、上または下からだけ見ようとする人は円だと主張する。立体的に見る人だけが三角錐だと言う」
憂国娘  「三角錐だと知っていながら、三角だとか円だとか主張する人もいるから面倒になるのよね」
鹿おじさん「それもあるが、多くの人は自分で歴史を詳しく調べることはない。だから三角だとか円だとか刷り込まれると、後から、自分の目で見て三角錐だと認識できるようになるのは大変そうだ」
憂国娘  「そんなものね。歴史をどう解釈しようと現実の生活には関係ないと思っているから、その時に心地よい解釈を受け入れてしまうってところでしょう」
鹿おじさん「かつて日本青年会議所がアニメDVD『誇り~伝えようこの日本のあゆみ~』を制作し、各地の中学校での上映会を進めたという。自虐史観を批判し、アジアの人々を白人から解放するのが大東亜戦争だとするなどプチ右翼史観たっぷりだったとか」
憂国娘  「さすがにJCね。金融資本にとってはもう国境はないも同然で、産業資本にとっても世界の最適地で生産し、それを世界規模で流通させて商売するという21世紀に、日本国内の一部でしか通用しない史観に肩入れする姿って、グローバリズムをよく理解なさっている。こんな青年経営者が大勢いらしゃるんだから、21世紀の日本経済は安泰ね」
鹿おじさん「歴史の解釈は恣意的に変えることができる。三角錐を見て、三角だ、いや円だと言い合うことは勝手だが、どう声高に主張しようと過去の出来事を消すことはできない。冷静になれば、一つの出来事の中で肯定すべきは肯定し、否定すべきは否定し、過去の出来事は歴史という大河の中に位置づけておけばいいとなろう。一つの出来事がいくつもの次の出来事につながっていくということが理解できれば、解釈も変わらざるを得ない」
憂国娘  「アジアの人々を白人から解放するなんて言っていて、日本が国連の常任理事国になれると思っているのかしら。それとも連合国主導の国連も脱退して、“誇りと自信あふれる現代日本”はアジアの片隅で孤立して生きていこうとでもJCは考えていたのかしら」
鹿おじさん「個人が自分の生き方に誇りや自信を持つことは大切だが、日本という国家組織が持つべき誇りや自信とは何か。過去の歴史を粉飾しなければ持てない誇りや自信とは何か。そもそも、そんなものに本当に価値があるのか」
憂国娘  「個人が誇りも自信も持ちづらい社会だから、日本という国家に仮託せざるを得ないんじゃないの」
鹿おじさん「それは、経営者にとっても権力者にとっても都合のいい社会かもしれないな」