望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

欧米による評価

  2015年に来日した独メルケル首相の発言で、「歴史認識」に関する部分を日本の新聞などは大きく伝えた。共同記者会見で独メルケル首相は、戦後70年に関して「過去の総括が和解の前提となる」と述べたものの、日中・日韓関係への具体的な言及は避けた。だが、日本と中韓両国との関係改善に期待した発言とみられるなんて伝えるところがあった。

 日本と中韓両国の「歴史認識」問題を丁寧に取り上げる傾向がある日本のマスコミは、独メルケル首相から直接の日本批判を聞くことができなくて残念だったんだろうな。だから、独メルケル首相の胸中を推察して、関係改善に期待したなんて付け加える。言葉の裏に隠れているものを見通すことができるのだから、日本のマスコミはスゴイ!?

 常識的に考えれば、自国の利益に関係がない、他国の敏感な問題には触れないのが外交。ましてや、どこかの国を訪問した首相など1国を代表する人物が、訪問先国と周辺国との関係について、生徒を指導する教師のように説教や御高説をたれるはずがない。それは外交儀礼に反する行為でもある。

 もし独メルケル首相が「歴史認識」で日本批判を述べたなら、日本のマスコミは大喜びで大きく報じたかもしれないが、日本政府は反論せざるを得まい。さらに、日本批判に対して世論が反発する可能性があり、日本におけるドイツイメージに影響を及ぼす可能性もある。つまり、独を代表するメルケル首相が日本で「歴史認識」に触れることで、独が得られるものは何もない。

 中国や韓国の首脳が外遊先で、「歴史認識」や「従軍慰安婦」などを持ち出して日本批判を繰り広げていたので、外交の場は独善的なアピールの場に変質したかのような印象もあるが、外交の基本は変わっていない。外交儀礼を無視して、日本批判によって自国をアピールするという中韓の外交が異常なのだ。

 なぜ、日本のマスコミは独メルケル首相の発言に“期待”したのだろうか。マスコミが日本政府批判を続けても、政策に影響を与えることができず、選挙では自民党が圧勝するという状況なので、独メルケル首相に日本のマスコミの主張を“代弁”してもらおうと期待したのだとしたら、惨めな光景だ。

 欧米による評価を尊ぶ風潮がいまだにある。何かのランクを欧米の諸機関が発表するたびにマスコミは、日本の順位が上がったとか下がったとか伝える。欧米による評価を気にしすぎるのは、主体性が希薄だからか、自信がなさ過ぎるからか知らないが、独首相の発言への注目の背後には、日本の外交への評価を欧米から示してもらいたいとの願望があったのかな。