望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





捨てるべきもの


 妙な例えだが、夏に日焼けをして、大きく剥けた皮膚を「楽しかった夏」を思い出す記念品として大事に保存しておくというのは個人の勝手だが、それを他人に見せて、いかに楽しい夏だったかを説いても、共感を得ることができるとは限らない。むしろ、反対にドン引きされる可能性のほうが高そうだ。



 2013年12月26日に安倍晋三首相が靖国神社を参拝して以来、中国、韓国は強い日本批判を続けた。中国外務省は「侵略と植民地統治を美化し、国際社会の日本の軍国主義に対する正義の審判を覆そうと企んでいる」とし、韓国政府報道官は「戦犯を合祀している靖国神社を参拝したことは誤った歴史認識をあらわにし、日韓関係、北東アジアの安定と協力を根本から傷つける時代錯誤的な行為だ」とした。



 さらに中国の外相はロシアの外相と電話会談し、両国は「反ファシスト戦争の勝利国として共に国際正義と戦後の国際秩序を守るべきだ」と歴史問題で共闘するよう呼び掛け、ロシア外相は「靖国神社の問題ではロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じたという。国際的に日本批判を繰り広げている国々に安倍首相は、さらなる日本批判の口実を与えてしまった。



 安倍首相は、日本のために犠牲になった英霊に尊崇の念を表したことと、外国人を含め全ての戦場で倒れた人々を慰霊する鎮霊社にも参ったことを言い、「二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓い」をしたという。戦争指導者の責任に関して問われ、戦後は基本的人権を守り、民主主義、自由な日本をつくり、世界の平和に貢献しており、「今後もその歩みにはいささかも変わりがない」と述べた。



 しかし、安倍首相の参拝という行為が世界には、日本が中国、韓国との対立を強め、さらには「誤った歴史観」を表すものであるかのように伝わった。米国やEUなどからも、地域の緊張を高めるとの批判が出された。安倍首相の談話は国際的には一顧だにされなかった印象だ。今回の参拝で、日本が得たものは何もなく、失ったものはある。



 これは外交的には失策だったというしかない。安倍首相の就任以前から中国、韓国は、異常とも見える日本批判を続け、首脳会談も実現しない関係であるから、「じゃあ、こっちも好きなようにやらせてもらう」という意思表示だったのかもしれないが、それが靖国参拝というカードでしかないとするなら、日本外交の弱体さを示しただけだ。中国、韓国に対して日本外交に打つ手がないことの現れでしかない。



 日本外交が早急に取り組むべきは、中国や韓国が振り回す「歴史問題」のカードの威力を弱めることだ。しかし、相手国からカードを取り上げることはできないのだから、戦後の日本が「連合国史観」を共有しているとの情報発信を国際的に強化するところから始めるしかない。靖国参拝は、中韓の「歴史問題」カードに光をあてるという逆効果になった。



 霊の存在は科学的に証明されておらず、霊に関わることは宗教の領域だ。だからこそ、靖国神社に政治家が距離を置くべき理由となり、また、距離を置くことを政治家は“正当化”できる。「剥けた皮膚」を大事に保存するのは個人の勝手だが、誰に見せても喜ばれる……というものではない。