望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

記憶の伝承

 日本では、1945年に日本が降伏した戦争が特別視される。8月になると毎年、その戦争の記憶を新たにしようとの記事や番組がマスメディアに多くなり、戦争の悲惨さなどが強調され、戦争経験者の「戦争はいやだ」「二度と戦争をしてはならない」などの言葉が入るのが定番の構成だ。

 悲惨な戦争を日本が繰り返さないために、その戦争の記憶を伝承しなければならないと記事や番組で強調されることも多い。76年前に敗戦で終わった戦争の記憶は、戦争を体験していない世代の増加とともに忘れられるものだろう。だから、記憶を伝承しなければならないとする。だが、記録なら文字や音声や映像などで世代を超えて伝えることは可能だろうが、記憶の伝承は簡単ではない。

 記憶は人間の脳に保管される情報だから、脳が活動を停止すると記憶は失われる。戦場での記憶や空襲下の記憶、軍隊内での記憶などは、断片的な当時の記憶に当時の視覚映像や音、感情などの記憶が混じり合ったものだろうから、言葉にできた記憶は記憶の全てではないだろう。言葉にできた記憶を後世が受け継いだとしても、戦争体験者が記憶とともに感じる「実感」を伝えることはできまい。

 記憶の伝承をマスメディアは主張するが、8月15日を過ぎると1945年に日本が降伏した戦争関係の記事や番組は消える。記憶の伝承が必要だとするならマスメディアは常に戦争の記事や番組を提供するべきだが、戦争関連の記事や番組は季節ネタの扱いだ。つまり、1945年に日本が降伏した戦争の記憶の伝承とは、おそらく「戦争はいやだ」「二度と戦争をしてはならない」などの言葉の伝承に尽きるのだろう。

 「戦争はいやだ」「二度と戦争をしてはならない」などの言葉に異論は誰からも出ないだろう。だが、この言葉は戦争体験者の記憶と結び付けなくても、戦争を体験していない世代にも共感できるはずだ。1945年に日本が降伏した戦争を知らない世代も戦争のニュースは知っている。世界では常にどこかで戦争が起きており、大規模な破壊や人々の死傷、大量の難民流出などが起きている。

 マスメディアは、1945年に日本が降伏した戦争の記憶の伝承を人々に促すより、世界で起きている戦争の実態を積極的に伝えるほうが、現在の人々に戦争の悲惨さを実感させ、「戦争はいやだ」「戦争をしてはならない」と実感させることができよう。だが、マスメディアは世界で起きている多くの戦争を、日本人の戦争の記憶に合流させようとしない。

 日本人が体験した戦争は日本人にとっては特別な体験だ(どの国の人々にとっても直接に体験した戦争が特別だろう)。その記憶も記録も日本人が世代を超えて伝承していくことが大事だが、1945年に日本が降伏した戦争を特別視しすぎると、今の日本は平和で良かったねと世界で起きている戦争を軽視し、日本が平和であればいいとの1国平和主義に絡め取られかねない。