イラクでは死者数十人規模の戦闘や自爆テロは珍しくない。アフガニスタンでも同様だ。新聞の外報欄にはそれらを伝える記事が適時載るが、それ以上の扱いはない。ましてやテレビなどで取り上げられることはまずない。
ベトナム戦争の時には、もっと情報が多かった。マスコミ各社は特派員を送り、雑誌等でも特集が組まれた。従軍記者に「自由に」取材させた結果、反戦世論をかき立てたとして、その後、米軍は従軍記者の取材を「管理」するようになったという。
8月15日を迎えると例年のように日本のマスコミには「日本人の戦争」体験を伝える記事が増え、他方では、高齢化とともに「日本人の戦争」体験の伝承の危うさを憂う記事も散見する。1945年8月15日に終戦を迎えた戦争で、日本人は300万人以上が死に、負傷者は数知れず、都市部などで生活基盤を失った多くの日本人が路頭に迷い、“戦争はもうこりごり”と大半の日本人が思っただろう。しかし、8月15日を過ぎると、「日本人の戦争」体験を伝える記事は消える。
なぜ「日本人の戦争」体験だけが特別視されるのか。日本人が関わった“身近”な戦争が1945年8月15日に終わった戦争であったことは確かだが、その後も大きな戦争は世界でいくつもあった。現在も戦争は続いている。被爆体験は日本人だけにしか伝えることができないだろうが、戦争の悲惨さなどは、日本人の体験したものだけが日本人に共感され、日本人以外の体験した戦争の悲惨さは日本人には共感できない、なんてことはないだろう。
マスコミが「日本人の戦争」体験を伝えようとするのは、季節ネタ的にも見えるが、記事が載らないよりはいい。習慣・風習などを共にする人々の悲惨な体験は、現在の読者にも共感されやすいだろう。だから日本人が日本人の戦争体験を伝えていくのは当然といえる。だが、日本人だけが2度と戦争に巻き込まれなければいいと考えるならともかく、戦争を絶対悪と考えるなら、世界で起きている戦争(戦闘)を知り、考えることが大切だ。「日本人の戦争」だけが戦争ではない。
戦争を伝えるためには、誰かが見に行くか、その戦争の体験者の話を聞かなければならない。従軍記者として、どこかの軍とともに行動した場合、その軍のいるところだけを見ることになる。単独で行動した場合には、身の安全は自分の責任になる。味方以外はすべて敵と看做し、無差別に攻撃が行われているような地域には、記者が単独で入ることは不可能だ。戦争取材には限界があるが、戦闘地域に入ることだけが取材ではない。戦争には膨大な難民が“付き物”だ。断片的な声を拾っていくことで、その戦争の全体像が浮き上がることもあろう。
「日本人の戦争」体験を伝承し、悲惨さに共感するとともに、現在続いている戦争を知ることで、「国権の発動として」の戦争の実態が明らかになる。戦争そのものの悲惨さを共有できる。それができるのは新聞などのマスコミだけである。