望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





過少な報道

 

 例えば、米国のどこかの都市で発生した爆弾事件で数人の死者が出たならば、それは大事件だ。取材陣が殺到し、次から次とニュースが報じられ続け、細かな情報も取り上げられる。そのニュースは世界にも発信され、日本でも連日大きく扱われたりする。ところが、イラクアフガニスタンでは爆弾事件が頻発し、一度に数十人が死んだりすることもあるが、日本ではせいぜいがベタ記事扱いのことが多い。



 ニュースは商品であり、それを消費する人間が多く、マスコミが発達している米国など先進国での事件のほうが、優先的かつ大量に発信されるという道理なのだろうが、先進国と、それ以外では、1人の生命の価値に大きな落差があることを示してもいる。イラクなどで30人が死んだ爆弾事件よりも、米国で3人が死んだ事件のほうが重大なニュースとして扱われるのが現実世界だ。



 世界では常に様々なことが起きているが、ニュースとして商品化されるのは記者が取材したものだけである。米国内の爆弾事件では現場周辺に記者が殺到し、大量のニュースが発信されるが、イラクアフガニスタンで爆弾事件が起きて数十人が死んでも、先進国の記者が殺到するわけでもなく、通信社電を引用するだけだ。



 ニュースとして報じられたものには、ニュースとしての“価値”があるのだと、ニュースを消費する側はうっかりと思いがちだが、それは間違い。送り手が選別して発信したものだけが、商品価値のあるニュースに仕立てられるだけ。新聞には紙面スペースの制約があり、放送メディアには放送時間の制約がある。ネットは大量の情報を載せることが可能なので、通信社は大量の情報をネットで発信するかと期待したが、人手の制約があった。



 死者が1千人を超えた2013年のバングラデシュのビル倒壊事故のニュースも、日本のマスコミでは小さな扱いが続いた。大惨事であり、連日、数十人単位で死者数が増えていったが、日本のマスコミは関心をほとんど示さなかった。おそらく記者が現場に行っていないのだろう。記者を派遣したなら、凄惨な状況を伝える現地ルポを大きく扱うだろうから。



 バングラデシュには、グローバルな衣料品販売企業が縫製を委託する工場が多い。倒壊したビルにも縫製工場が入っており、欧米の大手企業が発注していたと明らかになった。日本の企業が委託していた工場があったなら、日本でももっと関心を持って報じられたのかもしれない。日本人が一人でも巻き込まれていたならば、各社は取材陣を送り込んだだろうな。



 英メディアのサイトに、急造らしき木製棺桶が積み上げられている光景や、広い芝生に密に規則正しく墓穴が掘られてある光景、その墓穴に順に埋葬している回りに人々が集まっている光景などの写真が掲載されていた。数百人、いや1千人を超える人が死ぬ事故により、何が起きるのかを伝えていた。大惨事を取材に日本から記者が行っていれば、必ず伝えたであろう光景でもある。