望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





特別な戦争

 

 8月15日に近づくと、15年戦争をテーマにした記事が新聞に増え、テレビにも戦争をテーマにした番組が増える。季節ネタと揶揄されたりもするが、年に2回(もう1回は12月)ぐらいは日本の近代史を振り返ることは無駄ではあるまい。でも、15日を過ぎれば、戦争譚は一気にマスコミから消える。



 この現象は、日本人の戦争体験を継承する作業なのだろうか。それとも、15年戦争に対する「反省」を新たにして、共有する作業なのだろうか。記事や番組によって狙いは様々だろうが、戦争と日本人が結びつくのは、8月15日に玉音放送があった戦争だけだ。別の言い方をすると、ベトナム戦争イラク戦争などに日本が直接関わっていたなら、8月のマスコミは変わらざるを得なかっただろう。



 1945年以降も戦争は世界各地で勃発し、21世紀になっても世界で戦争は起きている。日本も無関係ではなかったけれど、日本から軍を派遣して戦闘に参加することはなかった。「平和国家」日本の面目躍如なのかもしれないが、戦争が日本では「過去」の物語になることを助長した面もある。



 15年戦争は日本人にとっては特別なものである。だが、戦争は人類の歴史の上では、ありふれたものだ。9.11以後に米が行った、国家ではない武装組織を敵として行う戦争にしても、全く新しい戦争というわけではない。他国に派遣した正規軍がゲリラ相手に戦う戦闘行為は珍しいものではない。



 多くの戦争の中で、一つの戦争を特別視するには理由が要る。15年戦争で、他の戦争と異なる特徴は、(1)原子爆弾による被害、(2)日本兵の戦死者の大半が餓死か病没、くらいだろう。しかし、8月のマスコミでは、「日本人が関わった」ということで特別視する。それは、「今の日本は平和でよかったね」と確認する作業なのかもしれない。