望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

主権を「回復」

 ただ1つだけの大切なものを、奪われたり、取り上げられたりして失ったが、数年後に、それが再び手に入ったとしたら、それはさぞ嬉しいことだろう。でも、その大切なものを再び手にしたことを無邪気に喜ぶだけで、なぜ奪われたのか、なぜ取り上げられたのかを考えて対策を講じなければ、また奪われたり、取り上げられたりしかねないぞ。



 2013年4月28日に東京・永田町の憲政記念館で政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれた。これは、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したことにより連合国の占領が終わり、日本が主権を回復、いわば再独立を果たしたが、それから61年を迎えたことを祝うもの。61年って中途半端な数字だが、60年の「還暦」の時には自民党は野党だった。



 報道によると式典では、安倍首相が「本日を一つの大切な節目とし、これまでたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と述べ、式典が終わって天皇が退席する時に出席者から「天皇陛下万歳」の声が上がり、多くの出席者が唱和したという。天皇(制)を利用するものは、真っ先に信奉者を装うと誰かが書いていたっけ。



 なぜ主権を「回復」したのか。それは日本が主権を失ったからだ。なぜ失ったのか。それは連合国に日本が占領されて、その支配下に置かれたからだ。なぜ占領されたのか。それは、日本が戦争に負けたからだ。負けたといっても、条件付きで停戦したのではなく無条件降伏で、日本軍は武装解除され、解体された。そして日本は主権を剥奪された。



 戦争にボロ負けして、挙げ句に、交戦相手の軍が乗り込んできて国土を占領され、主権を取り上げられた日本。「主権を回復した日」を祝うなら、日本が主権を失った経緯を振り返り、二度と主権を剥奪されない決意を新たにすることが欠かせまい。



 そのためには、主権を失った責任を問う必要がある。日本が主権を剥奪された責任は誰にあるのか。国民大衆も戦争を支持し、浮かれていた面もあった……と総懺悔に話を持って行くと、行き着く先は、誰の責任も問えず、誰も責任を取らないことになる。つまり、ウヤムヤ。



 歴史から学ばなければ、同じことを繰り返しかねない。責任を問うことは、善悪のレッテルを貼ることとイコールではない。1945年8月15日に至るまでの歴史を振り返り、軍人、政治家をはじめとする国家運営に関わった人々の判断や決定、行動を検証して、主権を失う結果になったことに、それぞれが、どの程度の責任があるのかを問い直すことが、主権を二度と剥奪されないことに役立とう。



 だが、そうした議論は起きなかった。「主権を回復した日」を祝っても、どうして主権を失ったのか問い直すことはしなかった。「主権を回復した日」を祝う人々が、靖国神社A級戦犯を合祀したことを許容するような人々でもあるようだから、主権を失った責任追及など、できようはずもなかった。