望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

本屋での出来事

 

 とある本屋で、声高に話しながら店内を歩いていた夫婦が、立ち読みをしていた若い男性の横に来て、男性の前の棚を物色し始めた。夫婦は男性に声をかけることもなく、棚から本を取ろうと手を伸ばし、男性を少し押すことになった。男性はムッとした様子で、だが、少し横に移動した。



 夫婦は本を棚に戻し、さらに別の本を取ろうと手を伸ばし、また、男性を少し押した。男性は夫婦を睨んだが、夫婦は気付かない様子。男性は、見ていた雑誌を夫婦の前あたりに放るように置き、立ち去ろうとした。それを見て夫婦の夫が「なんだ、おまえ」と声を荒げ、振り返った男性と睨み合いになった。



 男性の声が小さかったので、どんなやり取りだったのかは聞こえなかったが、少しして男性は立ち去り、夫は「ああ、気分が悪い」と繰り返した。妻のほうは「変な人がいるわねえ」などと応えていたが、やがて夫は男性を追うように店の外に出て行った。



 残った妻の横に子供が来て、どうしたのかと聞くと、妻は「いきなり本を投げたのよ」と言い、「変な人も、いるわねえ」、さらには「立ち読みなんかしないで、買えばいいのに」と繰り返した。戻って来ない夫の後を追うこともなく、妻と子供は店内の別の場所に移動して本を見ていたが、何かを買うこともなく、やがて店外に出て行った。



 端から見ていると、体がぶつかったり、押したりしたほうが一声かけていれば何事もなかったであろう出来事だが、そうした“マナー”が欠如している人々は、自分の振る舞い方に気付かないのだろう。そして、いきなり何かをされたと言い出して被害者感情を持ち、「変な人」がいたと言い、挙げ句に「立ち読みせずに買えばいいのに」などと相手への批判を高める。



 本屋で客同士が、押した・押すな云々で言い合っているのを見るのは、そう珍しいことではない。一方、頑として動こうとしない人もいて、声をかけても、睨み返され、動かない。通り抜ける時など、そんな相手とうっかり体が触れたりすると、“戦闘開始”にもなりかねない雰囲気だったりするので、余計な気を使うことにもなる。



 本屋は不思議な空間だ。文化的な香りを漂わせているが、社交的な場との雰囲気は薄い。立ち読みだけの客も多く、彼らは個に籠ったままでいることもできる。そんな彼らが、意図せぬ他人との接触で、いきなり個でいることを中断され、個の世界から引き出されたことに戸惑い、不快感全開でやり合ったりする。端から見ている分には面白い空間だが。