望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

開かれたナショナリズム

 移民・難民が欧州に殺到したこともあって欧州各国で右派ポピュリスト政党が勢力を拡大している。その主張は、移民排斥を訴えることで共通し、人々の中にあるイスラムへの恐怖や嫌悪などに支えられているように見える。移民・難民の受け入れを容認するEUや指導層(エリート)への反発・糾弾もあり、それらが、それぞれの国家の権限回復を主張し、EUへの反対という主張になる。

 日本では、右派は戦前を肯定する復古主義者を指すことが多く、保守主義は右寄りではあるものの右派の数歩手前との位置づけなので、欧州の右派を日本でいう右派と同類視はできまい。だが、先に定住していた人々・民族などの利益を第一とし、それで移民・難民ら新来の外国人に対する忌避感を正当化したり、国家主義で自分らの優越性を支えたりするなどの共通点はある。

 人々が流動してきた歴史を持つ欧州は移民・難民の受け入れに寛容だが、受け入れ方は各国で異なる。出自に関わらず市民としての社会参加を基礎とするフランス流と、民族別などの分散を容認して社会包摂を目指す英国流に大別されるが、どちらの社会も大規模なテロリズムに見舞われた。テロ事件がナショナリズムを刺激している。

 移民を受け入れた多民族国家におけるナショナリズムは多面的にならざるを得ない。米国を例にすると、白人主体の国家をよしとするナショナリズムもあれば、多人種・多民族が共生する国家をよしとするナショナリズムもある。前者は、白人以外の更なる移民受け入れに消極的になろうし、後者は移民受け入れを当然とするだろう。

 前者は「閉ざされたナショナリズム」であり、後者は「開かれたナショナリズム」といえよう。右派のナショナリズムが「閉ざされた」ものであり、リベラルのナショナリズムが「開かれた」ものであるとは、一概には言えない。どちらにも情緒的側面があり、その情緒は好都合な理論により正当化される。ただ、議会制による国家の存在を肯定することでは共通する。

 ナショナリズムが「閉ざされる」か「開かれる」かは、国家の主権者の範囲を限定的にするか開放するか、政治姿勢の違いである。欧州の右派政党は、先住の白人が国家の主権者だとするが、多人種・多民族が主権者に加わるのが現在の欧州。英ロンドン市長イスラム教徒が選出されたりして政治は変わっていくだろう。「開かれた」ナショナリズムは変化を促進する。

 様々なナショナリズムは、何らかの自分らが属する集団を想定し、その集団が国家を担うべきとする。主権者である特定の集団が国家を担うべきとするので、政党に機能的には似ており、ナショナリズムを掲げる政党が欧州で出現するのは、欧州では議会制が個人に支持されていることの証しでもあろう。日本で、ナショナリズム運動が政党として議会を目指さないのは、ナショナリズムが議会を軽視してきた歴史を反映している。