望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

誕生日ではなかった

 観光スポットや駅前などに大きなツリーが電飾されて輝き、商店などでも小さなツリーやサンタが飾られるなど、12月に入るとクリスマスムードが街中に広がる。年末にだけ日本人の多くが、にわかキリスト教徒になったかのような様相だが、もちろん、このクリスマスムードは宗教とは無縁だ。



 日本でのクリスマスは宗教行事ではないが、子供にプレゼントを贈り、家族でケーキを食べる日、カップルが一緒に過ごす日などとして定着した。4月8日の釈迦の誕生日を今ではほとんどの人がスルーしているのとは大違いだ。といっても釈迦の誕生日には諸説あり、また、キリストの誕生日にも諸説ある。クリスマスの12月25日にキリストが産まれたとは確認されていない。



 大辞林によるとクリスマスは「キリストの降誕を祝う祭り。太陽の新生を祝う冬至祭と融合したものといわれる」ということなので、この世にキリストが現れたことを祝う日だ。キリストの誕生日がいつなのか、聖書に記されていないので分からない。だから、誕生日を祝うことはできないので降誕を祝う。



 誕生日と同様にキリストの誕生年にも諸説あって、キリストの生誕年を起源とする西暦の根拠は怪しいが、すでに世界的に定着している。西暦は宗教歴なのだが、クリスマス同様に世界では非キリスト教圏でも普及した。世界に勢力を広げた欧州各国の帝国主義の遺産であり、現在にも引き継がれる西欧の影響力の大きさを示すものでもある。



 ところで、誕生日を祝うことは、特定の日付に意味を持たせ、それを確認する行為である。家族には結婚記念日を始め、各人の誕生日など多くの特別な日があり、それを共有することで家族意識を形成・維持する。キリストの降誕を祝うクリスマスはキリスト教徒にとって宗教意識を確認する特別な日だろうが、それを世界の多くの非キリスト教徒が家族意識を確認する日にしたりする。宗教意識と家族意識は、ある集団が帰属意識を共有するという点では似ている。