望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

A現象とB現象

 Aという現象が起きたために、Bという現象が現れるとする。その関係を理解している人なら、B現象に遭遇した時に、単独でB現象が起きたとは考えない。その関係を知らず、関連知識などが乏しい人ならば、B現象を単独のものと考えたり、A現象とは別の原因を持ち出すこともあり得る。広範な知識の積み重ねは、世界を正確に理解するためには欠かせない。



 A現象とB現象に時間差があまりなく、「A現象が起きたからB現象が起きた」とも「B現象が起きたからA現象が起きた」とも解釈することができる場合なら、知識の有無が正しい理解の決め手になる。だが、誰でもが十分な知識を持っているとは限らないので、どちらが正しいのかは甲論乙駁になったりする。



 例えば、地球に関する知識を持たない知的生命体が宇宙のどこかから望遠鏡のようなもので地球の一部分を見ていたとする。人間が傘をさし始めたことと、雨が降り始めたことに気がつく。「人間が傘をさし始めると雨が降る」とも「雨が降り始めると人間が傘をさし始める」とも理解できよう。どちらか正しい理解か観察を積み重ねて分析し、傘の用途に気がついたなら、雨が降り始めたことにより傘の使用が始まると推察できるだろう。ただし、観察例だけを積み重ねても正解に必ず到達するとは限らない。



 B現象に遭遇した人が、A現象に関する知識を持たないとしたら、B現象が起きた原因を正確に判断するためには、①B現象に関する知識を集める、②集めた知識を分析してB現象を招来した原因を推察する、ことが必要になる。だが、いつでも誰でもが慎重に判断するとは限らず、一般に流布されている通説などに従ったり、主観に頼って判断することが一般的かもしれない。



 日常世界は様々な現象に満ち溢れており、特定の現象に関心を持つかどうかは個人によるので、例えばB現象に遭遇したとしても、大半の人は特に興味を持たないだろうし、いちいち正確に理解しようはしないだろう。つまり、B現象を招来したのがA現象だとしても、それは、どうでもいいことだったりする。どうでもいいことなら、マスコミがもてはやしたりする通説に従って済ます。



 通説が正確な世界理解に即したものならいいのだが、通説が不正確であったり間違っていたりすることは珍しくない。正確に理解するためにはまず、通説が必ずしも「正解」ではないことを意識することが必要だ。通説を“捨てる”と、世界は混乱に満ちていると見えてくる。そうした混乱に気がつくことが、世界を正確に理解する第一歩であり、B現象とA現象の関連を知ることにもつながる。