望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

怪力乱神を語らず

 論語の「子不語怪力乱神」(子、怪力乱神を語らず)とは「先生は、怪異と力わざと不倫と神秘とは、口にされなかった」ということ(岩波文庫金谷治訳注)。子とは男子の美称また通称で、論語では孔子をさす。孔子は、怪しげなことや不確かなこと、鬼神、道理に反することについては話そうとしなかったという。語らなかった理由は定かではない。

 怪力乱神とは何か。怪力とは「人知を超えていて、人を迷わしやすい不思議な現象と、道理を無視して行使されやすい野蛮な力」で、乱は「世間の風俗・秩序を乱すもの」、神は「怪とほぼ同義(怪=①あやしいこと。不思議②化け物)」と新明解国語辞典大辞林では怪力乱神は「理性では説明できないような不思議な存在や現象」とされる。

 怪力乱神について他に「 怪異と怪力と悖乱と鬼神の四つをさす。怪異は怪しく不思議なこと、怪力は怪しい力や働き、悖乱は道理に逆らい正道を乱すこと、鬼神は超人間的な力や威力を持つもの。いずれも理性や常識から遠く離れた存在のもの」とか、「怪は奇怪なこと、不思議なこと。力は武勇伝や暴力のこと。乱は道徳に反すること。神は鬼神、普通の人が認知できない神霊・霊魂のこと」「怪異・勇力・悖乱 ・鬼神の四つをさす」などの説明もある。

 理性で説明できない存在や現象について、事実や検証を重視する人なら、客観的な検証がないと否定的に語るか、孔子のように語らずにいるだろう。一方、それらを肯定的に語る人は珍しくないが、肯定する根拠が強い思い込みだったりする。検証できない存在や現象は様々な物語と結びついていることが多く、そうした物語に惹かれ、物語を受け入ることで、検証できない存在や現象を信じてしまう。

 理性で説明できない存在や現象には、例えば、幽霊(お化け)や祟り、天罰、如来や菩薩、神や悪魔、UFO、宇宙人(異星人)などがある。検証がなく自分で見たことがなくても、それらの存在を信じるには強い感情が要るだろう。その感情は信仰だったり信念だったり、単なる思い込みだったりする。

 孔子はなぜ怪力乱神について語らなかったか、理由の説明は残っていないようだが、推察するに①あやふやな対象には興味がない、②正確に語るには正確な対象が要るとした、②存在が不明確な対象について語って間違えることを恐れた、④孔子実証主義者だったーなどが思いつく。語らなかったということは、存在が不確かな怪力乱神を孔子は恐れなかっただろう。

 現在でも怪力乱神を信じたり、感じたり、納得したりする人は珍しくない。実証を尊重する精神が弱い人が多いだろうことは、いろいろな陰謀論が現れては消えることでも確かめられよう。現在では科学的な装いをまとう怪力乱神や陰謀論もある。孔子のように、怪力乱神を語らずと己を律するのは現代でも簡単ではない。