望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

学習する民族主義

 住民投票で独立賛成が総投票数の55.5%を占めたことからモンテネグロ議会は2006年6月3日、独立を宣言し、国家連合を組んでいたセルビア共和国も公式に独立を受け入れた。これで旧ユーゴスラビアは6共和国に完全に解体した。


 友愛と連帯を旗印に南スラブ民族統一国家を目指して独自の国づくりを進めてきたユーゴスラビアでは多くの民族が混在していた。クロアチア独立、ボスニア独立では民族間憎悪が煽られて血を流し、さらにセルビア国内のコソボ自治州をめぐっては、米軍とNATOが国連決議なしでアルバニア人支援の軍事行動に踏み切り、連邦制を維持しようとする動きは外部から力づくで押さえ込まれた。セルビアモンテネグロ独立に反対だが、手の出しようがなく、認めざるを得なかった。


 民族意識は人為的に形成されるものである。言語や習俗を共有する人々で自然に形成されるのが民族意識だと捉えられがちだが、政治意識としての民族主義は学習で形成されるものだ。ユーゴスラビアを例にとると、元々は同じ南スラブ民族(ユーゴ=南、スラビア=スラブ人)だったのが、東西ローマ帝国の分裂やオスマントルコ帝国支配等の歴史により、居住地区によって宗教が異なるようになり、新たに細かく民族と区分けされるようになった。セルビア人とクロアチア人は、使っている文字は異なる(キリル文字とアルファベット)ものの、会話には支障がない。そんな彼らが何度も互いに殺し合ってきた。民族意識を自己の行動の正当化の拠り所として。


 アメリカ民族と聞いてピンとくるだろうか。様々な移民(と末裔)が社会を構成しているアメリカで、無理にこじつけるのなら先住民のことになろうが、アメリカ民族という民族の実態はないといってもいい。中国では中華民族という意識が主張されている。地域によって言語や習俗が大きく異なるのだが、歴史的に統一国家権力による支配を長年受けてきたことから、各地の人々は被支配感覚を共有し、それが中華民族という意識形成につながったと考えられる。


 アメリカ民族という意識がいつか形成されるだろうか。ユーゴスラビアでは、各民族間の婚姻により生まれた子がユーゴスラビア人という民族に区分けされていた。新たな民族の誕生でもあるが、実態は既存の民族意識からの脱却である。例えば日本人と中国人の間に生まれた子は、両親のどちらかの民族意識を受け継ぐのではなく、東アジア人とでもいうべき“民族”意識を持つようなものである。ただ、ユーゴスラビアの解体によりユーゴスラビア人として生きてきた人々は寄る辺がなくなった。それらの人々は両親のどちらかの民族意識を学習するか、ヨーロッパ人との意識に同化するかであろう。


 民族意識は人為的に形成されるものである。別の言い方をすると、学習により民族意識を植え込むこともできるし、学習により既存の民族に同化することもできる。ある民族なんだと思い込めば、もう、その民族に同化しているというのが民族意識の実態なのかも知れない。ただ、理性や知性の批判に耐えられるほど、民族意識というものが客観性を持つものであるのかは疑問が残る。


 解体の原動力になったのが民族主義であったユーゴスラビア。更なる解体を指向する大アルバニア主義勢力があり、そうなれば各共和国に分散する格好になったセルビア人も統一を指向しよう。民族主義が現実に何を招くか、ユーゴスラビア解体の歴史がそれを教えてくれる。