望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





ボスニアで暴動

 

 中欧にあるサラエボは今はボスニア・ヘルツェゴビナの首都だ。ここで36年前の1984年に共産圏で初めての冬季五輪が開催された。サラエボはまた、106年前の1914年にオーストリア帝位継承者の暗殺事件が起き、これが第一次世界大戦へとつながったことでも知られる。サラエボは、ユーゴスラビア解体過程で起きた内戦(1992~1995年)で戦場ともなった。



 そのサラエボで2014年、暴徒化したデモ隊が幹部会議長(大統領に相当)の庁舎などを含む政府庁舎を襲った。他の都市でもデモ隊が地方政府庁舎などを襲撃、デモが発生したのは30都市以上になるというから、ボスニア全土にデモが拡散した状況だ。



 発端は、北部ツズラでの賃金未払いに対する抗議活動。民間に売却された国営企業5社が破産を申請し、約1万人の労働者への賃金支払いが止められたことから大規模デモが発生し、失業率が4割ともいう低迷するボスニア経済に対する不満が吹き出た格好でデモが全土に拡大した。各地で警官隊と衝突し、数百人の負傷者が出たという。



 ボスニアは人工的につくられた国だ。元は同じスラブ民族だというが、宗教によりムスリムセルビア人、クロアチア人に分かれて殺し合った内戦を経て、ムスリムクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人主体の共和国から成る連合国家になった。



 でも、死者20万人という内戦の記憶が消えるはずもなく、政党が民族別に結成されるなど民族主義の対立が政治に持ち込まれた。国際社会の監督機関が置かれており、立法権、人事介入権などの権限を持つので、民族対立で政治的困難に陥ると、強権発動して介入してきた。周囲から“タガ”がはめられないと国家として機能しないという独立国である。



 互いに殺し合った記憶は消えず、数十年経ってから蘇る(民族主義者が記憶の呼び起こしを煽る)ことがある。ユーゴスラビアが複数の独立国にバラバラに分離したように、国家として不安定なボスニアムスリム国家以外はセルビアクロアチアに合併するのがいいと傍からは見えるが、国際社会(=欧米)はボスニアを一つの独立国として維持しようとする。



 民族間の対立が続き、経済は停滞したままで、失業率が高い一方、汚職・腐敗がはびこっているともいうボスニア。今回のデモのように民衆の突き上げによって政治が現実的に課題に取り組み始め、経済が上向くようなら、ボスニアが国家として機能し始める切っ掛けにもなろう(が、そんなことが起きるはずもない?)。