スラブ人とは民族ではなく、スラブ語系の言語を話す人々とされ、多くの民族で構成されるというのが学問的な定義だ。だが、東ヨーロッパでの1500年以上にわたる分散・移動の中で次第に共通する民族意識が形成され、現在ではヨーロッパで最大の民族とされる(スラブ人でありウクライナ人であるなどと二重の民族意識を人々は持つ)。
スラブ人は大別して東スラブ(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)・西スラブ( ポーランド人、チェコ人、スロバキア人など)・南スラブ( (セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人、ブルガリア人など)に分かれる。移動して定住した土地での先住民族との混交などで様々な集団が形成されて、やがて、それぞれの民族意識に発展したのだろう。
スラブ人でも東スラブ人でもあるロシアのプーチン大統領は2021年に論文で「ロシア人とウクライナ人は一つの民族」とし、演説では「ウクライナは、歴史・文化・精神世界で切り離せないロシアの一部だ」と強調したという。スラブ人or東スラブ人という同民族意識を強調していたことから、今回の侵攻に「同じ民族で殺し合うなんて」「兄弟民族で殺し合うなんて」などの反応が日本で現れた。
だが、同じ民族で殺し合うのは歴史的に珍しいことではない。冷戦終了後のユーゴスラビアの解体過程では南スラブ人同士が殺し合った。南スラブ人という意識より、クロアチア人とかセルビア人などの意識が高ぶりすぎた結果だ。ロシア人がロシア人を大規模に殺したのがスターリン時代のソ連における大粛清で、死者は推定1千万人ともされる。朝鮮戦争では朝鮮民族同士が殺し合い、中国の文化大革命では中国人の死者は推定2千万人とも、それ以上ともされる。
同一民族でも兄弟民族でも、利害の対立が先鋭化すると殺し合ってきたのが人類だ。日本でも、日本人という意識の共有が定着する以前は、奈良・平安などの昔から戦国時代、さらに明治維新まで日本に住む人々が互いに殺し合った歴史がある。たとえ民族意識を共有していても殺し合うのが人類だと理解するなら、今回のロシアの行動を民族意識で解釈する必要はなくなろう。
日本のような異民族の侵入が少ない社会では、そこに生きる人々が民族意識を育むことは自然なことかもしれないが、様々な異民族の侵入が繰り返されたり、多くの民族が混じって生きる社会では支配民族を中心に新たな民族意識が形成されたりもする。中国は、人為的に新たに中華民族という意識を形成させて社会をまとめようとしている。
形成されて出来上がるものが民族意識だとすると、希薄になったり解体する民族意識もあるだろう。例えば、今回のロシアの侵攻に抗うウクライナ人には、同じスラブ人or東スラブ人という意識は希薄になり、やがてロシア人とは別の民族であるとの意識をウクライナ人は強く持つだろう。民族意識は人々の抵抗によっても育まれる。