望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

同じことが、また、起きる

 製品に不良品が見つかった場合、どうして不良品となったのか原因を突き止めなければ、同じ不良品が出る可能性が高い。原料や部品に問題があったのか、組み立て・製造工程に問題があったのか、梱包時や流通過程の取り扱いに問題があったのか、販売時の説明やマニュアルに問題があったのか、設計自体に問題があったのか。単一の原因によるものか複合的原因によるものか。

 人為的ミスの場合も同様だ。注意力散漫などの個人的要素によるものか、作業環境に問題があるのか(作業環境の要素は細分化されるので、人間関係・人員配置も含めて要素ごとの検証が必要)。

 何かが起きた時に、そのつど原因をはっきりさせることが、同じことの再現を防ぐ。いちいち調べるのは面倒でもあろうし、忙しいとか理由(調べないことの)はいくらでもあろう。しかし、原因が残っていれば、同じことは、また、起きる可能性が高い。

 「失敗」を系統立てて分類し、原因・結果・対策をデータベース化することは財産である。個人の中に蓄積された時には、その個人は業務に精通した人と見なされる。企業に蓄積され、社員が共有する時には、業務改善につながる。例えば、顧客からのクレームを、改善点の具体的な指摘だと捉えるならば、貴重なものと見えてこよう。

 これはビジネスの世界だけのことではない。例えば、政治とカネの問題。「政治にはカネがかかる」という言葉を政治家は言い続けているが、カネがかかる政治をいつまでも続けていていいのかという問題意識を持てば、カネがかかる政治の実態を精査することが必要となり、改善点が見えてこよう。政党助成金として税金を政党に渡して使わせているが、コストに見合った政治を考えるなら、政治にカネをかけて議員としての身分・地位を確保している人たちの存在が問題だと見えてくる。

 「失敗」を放置したままでは、時には人々にそのツケが回ってくることもある。強姦などの容疑で02年に富山県警が逮捕し、裁判所が実刑判決をくだし、服役した人がいた。07年になって、別の容疑者が判明して無実とわかり、10月11日に富山地裁高岡支部で再審の判決があり、無罪が言い渡され、検察側が控訴する権利を放棄したため無罪が確定した。

 どうして「無罪」の人が富山県警に逮捕され、裁判所が実刑判決をくだしたのか。警察にとっても裁判所にとっても、この「失敗」の原因をよく調べることが、同じことの再現を防ぐためには必要だろう。原因が放置されたままでは、誰かが、また、逮捕され、実刑判決がくだされるかもしれない。その時にも、別の容疑者が判明するかどうかは、わからない。

 再審裁判では、取り調べた警察官の証人尋問を認めず、判決でも、捜査のあり方や裁判所が実刑判決を下したことへの言及はなかったという。真犯人が現れたんだから無罪にしてやる、というだけ。「仲間の間違いは見逃す」という公務員どうし、官僚どうしの、かばいあいが優先したように見える。

 怖いですねえ。「次は、あなたです」