望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





父を殺された娘

 1963年11月22日に米テキサス州ダラスで、パレードのオープンカーの後部座席にいた第35代大統領であるジョン・F・ケネディは狙撃され、死亡した。リー・オズワルドの単独犯行とされているが、実行犯は複数いて、複数の場所から狙撃したとの説はいまだに根強いという。リー・オズワルドは22日に逮捕されたが、2日後の24日に警察本部の地下通路でジャック・ルビーに射殺された(ルビーは多くを語らず4年後にガンにより獄中で死亡)。



 ジョン・F・ケネディの娘が、2013年に新しく駐日大使として着任したキャロライン・ケネディだ。生まれたのは1957年11月27日だから、父親が殺されたのは6歳になる5日前だった。成田空港に到着後に「父は米国大統領として初めて訪日することを望んでいた」と声明を読み上げたが、幼かったキャロラインが父親の記憶をどれほど持っているのか不明だ。



 1909年10月26日にハルビンの駅ホームで安重根により狙撃されて死んだのが、当時の枢密院議長である伊藤博文だ。討幕運動に加わり、明治新政府になってからは要職を歴任。渡欧して憲法を調査し、大日本帝国憲法の起草・制定に大きな役割を果たし、後に初代の内閣総理大臣になった。子供は養子1人を含めて6人おり、娘は3人(長女は夭逝)。



 伊藤を狙撃した安重根はその場でロシア官憲に逮捕され、2日間後に日本の司法当局に引き渡され、翌1910年2月14日に旅順の裁判所(関東都督府地方法院)で殺人罪により死刑判決を受け、3月26日に死刑が執行された。ちなみに関東法院の建物は現存し、公開されているという。



 1979年10月26日に、中央情報部(KCIA)の宴会場で金載圭KCIA部長により射殺されたのが朴正煕大統領だ。金載圭は国軍保安司令部に逮捕され、1980年に死刑判決を受け、同5月24日に絞首刑となった。朴正煕は1974年8月15日にも文世光に銃撃され、自身は無事だったが、夫人の陸英修が頭部を撃たれて死亡していた。文世光は死刑判決を受け、同年12月20日に絞首刑となった。



 この朴正煕の娘が韓国大統領だった朴槿恵だ。1952年2月2日生まれというから、母親が殺された時は22歳でフランス留学中だった。その後は亡き母に代わってファーストレディ役を務めたが、27歳の時に父親も殺された。朴槿恵は、親がテロで殺された子供の“痛み”を誰よりも知っているはずだ。母親と父親を銃撃で奪われたのだから。



 そんな朴槿恵が在任中、黒竜江省ハルビン駅に安重根の記念碑を建立する計画が中国の協力で「うまく進行している」と中国に謝意を表した。安重根は韓国が朝鮮独立運動家として祭り上げている人物で、植民地化された朝鮮半島における抵抗のシンボル的な存在であり、韓国大統領としては賞賛しなければならないのだろうが、本心はどうなのかと知りたくなる。



 両親を殺されて、「政治とはそういうものだ。正義のためなら殺人は容認される」と腹を決めて政治家になったのか。それとも、政治家に対するテロはあってはならないし、子供たちから親を奪ってはならないと思いつつも、韓国大統領としては安重根を否定することはできないし、日本批判のためにも利用できるからと振る舞っているのか。朴槿恵の本心はどちらだったのだろうか。