望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





公人と個人

 2013年に中国側からの招きで「文化交流」名目で訪中した鳩山由紀夫元首相は、北京で賈慶林全国政治協商会議主席や楊外相らと会見し、尖閣諸島について、領有権を巡る「係争地」であることを双方が認めた上で解決を探るべきだとし、「棚上げの方向に戻ることが大事だ」との考えを伝えたという。発言の意図について鳩山氏は「領土問題が存在しないと言っていたら、いつまでたっても答えは出ない」と説明したそうだ。



 日本政府は尖閣諸島について「領土問題は存在しない」との立場だが、現実に中国、台湾も尖閣諸島の領有権を主張し、中国政府は艦艇や航空機を送り込んで「パトロール」を繰り返すようになった。状況としては係争地であることは明らかだが、領有権を主張している一方が実効支配しているのだから日本側の政治認識としては、領土は保全されており、係争地ではないということになる。



 鳩山氏のように、実効支配している側から係争地であることを認めることは、他国の領有権の主張を認めるという一歩譲った印象だが、政治的には大幅な譲歩となる。状況認識を巡っての議論ならば、鳩山氏の発言は妥当かもしれないが、政治認識の議論と考えると、鳩山氏の発言は中国政府を利するものだ。



 どのような立場で鳩山氏が招かれたのかは知らないが、もう国会議員ではなく、政治的影響力は薄れた鳩山氏に中国側が「利用価値」を見いだすとしたならば、元首相という肩書きだろう。つまり政治的な存在としての鳩山氏だ。しかし、鳩山氏は元首相という自分の政治的立場に鈍感だった。



 おそらく鳩山氏は、個人の状況認識として係争地であると発言し、それは己の考えに忠実だったのだろうが、国会議員ではなくなったとしても、政治家として扱われる時は政治家として政治状況を踏まえた発言をしなければならない。



 そういえば麻生太郎財務相社会保障制度改革国民会議で、患者を「チューブの人間」と表現、「私は遺書を書いて、そういうことをしてもらう必要はない。さっさと死ぬからと書いて渡している」とし、終末期医療に関し「『生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べ、後から「個人的なことを言った」と釈明した。



 公の場では「肩書き」に即した発言が求められるのだが、個人の考え、思いをつい発言してしまう人物は党派に関係なく存在する。これは、政治家としての「訓練」が足りず、場を見て、個人と公人を使い分けて振る舞うことができないような人間が、議員になり、首相にもなるという日本の政治状況を示す。



 公人としての発言の中に、つい個人が現れるような言葉が混じるのは人間味がにじみ出ていると評価されることもある。その一方で、「本音」がウケるからと個人の考え、思いを無造作に言う人もいるが、聴衆にウケることと、発言内容の評価とは異なる。政治的な見解が求められている場で、個人的な考えしか語ることができないのでは、外交は無理だ。