望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

中立や公平を装う

 中立とは「ある特定の立場・意見にかたよらず、中正の位置にあること」で、「戦争に参加していない国家に生ずる国際法上の地位。交戦当事国に対して公平と無援助の立場をとること」の意で使うこともあり、公平は「どれにもかたよらず、すべてを同じように扱うこと。えこひいきをしないこと」と辞書にはある。

 「かたよらず」ということでは似たような言葉だが、中立と公平を両立することは簡単ではない。対立する人々の間で中立を保とうとすると、双方から「味方でなければ敵方だ」と見られる。公平を保とうとするなら、対立する双方に細心の注意を払って同じように接しなければならず、双方から満足と不満が同じくらいに出たなら、対立する双方に公平に接していた証しともなろう。

 何が中立であり、何が公平であるか。そこに客観的な基準はなく、状況によって変化するので、当事者が状況を判断して、中立や公平を決めることになる。だから個人が主張する中立や公平は、主観の影響を免れることが難しい。組織の決定であるなら、複数人による議論で、個人による主観を薄めることができようが、組織トップの主観的判断をも修正することができる健全さを全ての組織が備えているわけでもない。

 中立と公平には利害も関係してくる。対立する片方だけに利害関係がある第3者が中立や公平を装っても、客観的には中立とも公平とも見なされまい。対立する双方に利害関係がある第3者なら、中立を装えば双方から「裏切ったな」と見られ、公平を装えば双方が「こっちに味方しろ」と不満を持つ。中立も公平も、意味するところは関係する各自の主観により異なるので、誰からも批判されない中立・公平は難しい。

 中立や公平という言葉には、理性的な言動を意味する響きがあるので、自己の言動を説明する時に中立や公平の言葉を使うことで、主観でしかないものを客観的な判断による言動であるかのように装うことができる。その時々に言葉の定義を確認しながら議論する人は少ないので、先に中立や公平を振りかざした側が有利になったりもする。

 中立を装うことで公平を損ねることがあり、公平を装うことで中立を損ねることもあるので、批判を免れることはできない。求められる中立や、求められる公平が立場によって異なり、そこに各自の主観が絡む。そうした場合、互いに相手を批判し、それぞれの中立や公平を言い立てることになる。主観の色濃いものを押し通すには、少しも引かずに言い立てるのが最善の方法だ。