望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

窮民とは誰か

 窮民といえば、貧困などのため生活に苦しんでいる人々を指し、貧民と同じ意味で用いられることも多い。窮するとは、金などが足りなくて困ることであり、「生活に窮する」などと使われるが、行き詰まって苦しむ意にも用いられ、「返答に窮する」「選択に窮する」などと、金に困る意味以外にも用いられる。

 窮する人々=何かに行き詰まって苦しむ人々は、どんな時代にも存在する。だから、貧しくはなく、それなりの地位に就いて生活は安定していても、人生に行き詰まって苦しんでいる人々がおり、それらの人々を窮民と呼んでも間違っているわけではない。思うようにいかず不条理なことが多いのが人生だから、行き詰まる要因は貧しさに限定されない。

 窮民という言葉を積極的に広く使ったのが竹中労だ。『水滸伝−−窮民革命のための序説』(1973年刊。平岡正明との共著)で水滸伝を論じながら、竹中労独自の解釈による窮民の概念、窮民革命の概念を説く。

 竹中労は「私のいう窮民(流民)とは、いわゆる経済概念ではない、被救恤的“窮民”ではない、窮民とは願望の位相における“自由の民”である、社会制度の桎梏から躱身(ドロップアウト)して流民へ、そして剽民・暴民へと彼らは転生していくのである」(『水滸伝』)とする。

 貧しく困窮する人々に加え、制度からはみ出し、自由を求める人々、つまり精神的な要素を窮民の定義に加えるという考え方だ。繁栄した豊かな時代であっても、全ての人が世に入れられるはずもなく、また、世に受け入れられることを誰もが求めるものでもない。さらに、いつの時代にも制度から弾き出される人は存在する。そうした人々の中で、自由に生きようとして闘う人は皆、窮民であり、制度に抗うことでは連帯が可能だとする。

 水滸伝の108人の主要登場人物は、役人、商人、下級将校、刑務所の典獄、漁師、遊び人、武芸者、居酒屋経営、上級将校、医者など様々な職種と階層からドロップアウトした人達だ。その経緯は多彩で、追いつめられたり、弾き出されたり、自ら出てきたり、はめられたり……不本意ながら制度の外に出た人もいるが、制度に頼れず個人で生きなければならなくなった時に、自由に生きるために闘おうと決めた人達が多い。

 貧しくて困窮する多数の窮民も精神的な窮民も、腐敗が蔓延する制度や権力で人々を統制する制度、人間を抑圧する制度に反発し、抵抗し、闘うことでは連帯できる。敵目標が一致するなら共同戦線をはり、自由な連合で闘うことができるはずだと竹中労は多くの著書で主張した。

 豊かな先進国の一員になった現代の日本にも、社会保障の制度の網の目からこぼれ落ち生活に困窮する窮民や、様々な制度からドロップアウトして自由に生きようとする精神的な窮民は存在する。ただ、窮民の自由な連合のためには敵目標の共有が大前提だが、敵はあまりに小粒で多方面に分散する時代になった。誰かを倒し、何かを倒せば、全てが解決すると信じられなければ敵目標の一致は難しい。

 共産主義国家の実情が詳しく知られるようになり、革命が信じられていた時代は遠く去った。体制をもって体制に代えたところで、ユートピアに近づくわけでもないが、転覆の危機感を失った体制は澱み、新たな様々な窮民が出てくる。無党派の窮民による自由な連動というのは永遠の課題だ。