望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





模範的な返答

 日本のメディアが中国の街頭で中国人に街頭インタビューしている映像をTVでしばしば見かける。中国人のホンネを探ろうと試みるのだろうが、中国人の話す内容は、どこかで聞いたようなものばかり。



 秘密警察がそこここで聞き耳を立てているような国では中国はないようだが、政治に関わることになると個人の見解発表には制約・規制が多いという。外国メディア相手だからといって、政治に関わることで中国人がどれだけホンネを語るのか疑問だ。



 西側でもメディアの影響力は大きく、個人は自由に意見を述べているつもりでも、傍から見ればメディアの影響下にあると明らかな場合は珍しくない。ましてや情報統制が徹底して行われている国では、判断材料になる情報が限られているのだから、個人の自由な意見表明といっても、「色」のついたものになろう。



 更に中国では教育現場で、自由に自分の考えを正直に言うことではなく、模範的な考えを言うことが奨励されるという。中国でいう模範的とは、思想的に正しい人間であることであり、政治的に正しい行動をすることであり、政府や党の期待に応えることであろう。そうした教育を受けて来た人間が、マイクを向けられた時に模範的なことを言うのは不思議ではない。



 おそらく中国にいる日本のメディアはそんなことは承知しているだろう。それでも中国人への街頭インタビューを行うのは、両サイドの意見を分け隔てなく伝えて、報道の中立を装うためか。それに、ひょっとして、ホンネをもらす中国人がいるかも知れないという淡い期待もあってかな。



 主張が対立している場合にメディアが、双方の意見を聞くというのは、訴訟リスクに備えた初歩的対応だ。新聞記事などで末尾に「A社は取材に対し、答えられないと返答している」などとあるのは、その典型。取材を拒否したなら、そのことを書く必要はないように見えるが、A社の言い分も報じる用意があったことを残しておかなければ、訴えられて裁判になった時に面倒が増える。



 ただ、そうした配慮は民間相手の場合には欠かせないが、国際問題でメディアが国家相手に訴訟リスクを抱える可能性は低い。国家がメディアに干渉する場合はもっと具体的だろう。特派員を拘束したり、追放命令を出したり、支局の閉鎖命令を出したり。いずれも権力を直接行使してくる。



 日中関係などの国際問題で、中国人の街頭インタビューを放映することで、報道の中立性が保たれるのだろうか。時には噴飯ものの中国政府の見解を伝え、街頭インタビューで中国人の模範的な意見を伝えることは報道価値があるものなのだろうか。まあ、紙面や放送時間を埋めるためには、手っ取り早いネタ集めであることは理解できるが。