え~、「チベットもウイグルも地下資源が豊富だから中国は手放さないのさ」という見方がございますな。ウイグルで地下資源を握っているのは実は軍関係の会社だとも伝えられ、「それじゃ、強硬に鎮圧するはずだ」となんだか納得させられるような気にもなります。しかしです、チベットやウイグルの独立(中国からの分離)を、中国の現体制や人々が許容できない深~い理由が、別にあるんだそうで。まあ聞いて下さい。
「中国」はアジア東部に位置する国を意味するとするのが一般的な理解なんでしょうが、歴史的に見ると「中国」には2つの観念があるんだそうです。一つは国家としての「中国」、もう一つは、天下=世界としての「中国」。
もともと「中国」は後者として使用されて来たもので、国家を表すのは夏、殷、唐、元、明、清など個別にありました。それが20世紀になってから、西洋列強に対する危機感もあって、中華民族の国家を表すものとして「中国」が使われるようになったそうで。20世紀に誕生した政府が国号を中華民国や中華人民共和国としたので、国家としての「中国」が一般的となったんだそうでございます。
現在は、中国でも国際的にも「中国」は国家の意味と受け止めるのが一般的なようですがネ、中国の人々には「天下=世界」としての「中国」意識が残っていて、無意識のまま混同しているんだそうです。だから、チベットやウイグルの独立(中国からの分離)は単なる民族問題ではなく、「天下=世界」としての「中国」の否定として受け止められ、現体制や人々は冷静になれないのだそうです。
国家としての「中国」なら一部が欠けても存続するでしょうがネ、「天下=世界」としての「中国」から、その世界を構成する一部の離脱・独立は、「天下=世界」の「中国」崩壊をも意味することになり、中国人には、中国世界の分解にもつながりかねないとの危機意識が潜んでいるのだそうです。なにより、彼らの独立は、中華世界の否定と感じ、我慢ができないということだそうで。
「中国」に2つの意味があり、中国の人々は混在したままの「中国」意識を持っているというんですから、何かの拍子に湧きたつ中国人のナショナリズムが簡単に制御できるようなものではないことが、理解できますな。「天下=世界」意識がくっついているんですから、「中国」批判や否定は、天下に背くものとして許されざるものになるわけで。冷静に聞く耳など、あるわけないということですかな。
(※季刊誌「還 Vol.34」=藤原書店=掲載の加々美光行氏インタビュー「『中国』という国家のジレンマ」に着想を得ました)