望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ネット上の情報だけで書ける

 速報性では新聞はテレビなど電波メディアにかなわず、ネットにも対抗できなくなった。だから、ニュースの解説記事や分析記事などに比重を移すのがネット時代の新聞の在り方の一つだとされる。問題は、分析記事などの長い記事を新聞で読む習慣を持たない読者に、読み通してもらえる記事を提供できるかどうかだ。詳しく長く書けば読んでもらえるというほど、読者は甘くない。

 解説記事や分析記事は現在なら、ネットで情報を集めて、まとめれば、それなりの体裁は整う。情報を盛り込めば、詳しく長い記事にすることもできる。だが、そんな文章ならネットに溢れている。新聞記者が書くなら、情報の裏取りをし、関係者や専門家、研究者らの話を聞き、さらに現場に行き、自分の目で確認することなどの「独自」情報を盛り込むことが必要だ。

 例えば、北海道新幹線について数年前の開業後の数日で乗車率が20%台後半に下がり、JR北海道が数年間は50億円ほどの赤字を見込んでいることなどから、前途多難だとの記事が多く見受けられた。好調な集客の北陸新幹線に比べて、函館まで東京から4時間以上かかるので航空便のほうが有利だとし、札幌までの延伸が15年先になるので当分はビジネス客が見込めないなどとした。

 こんな調子で各紙の解説記事は揃っていたのだが、使われていた材料も揃って同じようなものだった。つまり、JR北海道の発表を含め北海道新幹線関連のネット上の情報だけで書くことができる解説記事だった。記事を書いた記者の「独自」情報が皆無だったと言ってもいい。

 開業日に北海道新幹線に乗車して帰京してから解説記事を書くことは可能だっただろうし、開業以前に東京から新青森経由で函館まで東北新幹線・特急を乗り継いでいれば、沿線の旅客需要が理解できただろうから、盛岡以北の乗車率は20%台程度だということが実感できただろう。つまり、記者が現場に行くこと(この場合は北海道新幹線東北新幹線に乗ること)を行っていれば、乗車率20%台後半を問題視しすぎることはなかっただろう。

 解説記事や分析記事を書く記者には、日頃からの蓄積が必要だ。言い方を変えると、新聞社が解説記事や分析記事に比重を移すなら、専門記者を揃える必要がある。従来は、何かが起きるたびに記者らが取材に駆け回り、集めた情報を誰かがまとめて記事にし、専門家らのコメントを散りばめて解説記事に仕立てることができた。だが、それも今ではネットで間に合う種類の記事だ。

 ネットでは読むことができない、専門記者の幅広い知識と見識が伝わって来るような解説記事や分析記事を日常的に読むことができ、そのことが世間に認知されたなら、ネット時代の新聞の存在意義は確かなものとなる。ただし、現場の感覚が欠如し、「独自」情報が乏しければ、数年前の北海道新幹線の開業時の記事のようになる。