望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





「安宅クルーの再会」

 街中で、長くもなく短くもないという中途半端な時間をつぶす時などに立ち寄るのが書店だ。新刊書を扱う書店以外に古書店も、そんな時間つぶしには向いている。ひょっこり入った古書店で「この本、探していたんだ」という本を見つけた時は、入手できたことにプラスして、自分が運を持っているような気がして余計に嬉しくなる。



 ひょっこり入ったBOOKOFFでも、探していた本に出合うことができるが、BOOKOFFの面白さは100円(プラス消費税)均一の本の棚で、内容はよく知らないが、ちょっと興味を引かれたから買った本が、読んでみると「あたり」だったりすることだ。



 最近、そんな出合い方をしたのが「安宅クルーの再会」(読売新聞大阪社会部、角川文庫)。70年代末~80年代前半に新聞に掲載された連載記事4本(「生きるー死を急ぐ人たちのために」「安宅クルーの再会」「ある不起訴」「ポックリ寺の四季」)が収録されている。どれも印象深いリポートだ。編集局の黒田清社会部長の名から、そのころの記者らが黒田軍団と「尊称」されたのも理解できる。



 記事「安宅クルーの再会」は、つぶれた安宅産業のボート部員らが、それぞれに新しい仕事に奮闘しながら、1年後に集まってボートを漕ぐ。ボートは、漕ぐ皆が全力を出さなければ、まっすぐ進まない。ボート部員だった彼らが、会社がつぶれた時や新しい仕事に全力でぶつかっていた様子が描かれる。



 ボート部員で安宅崩壊後に起業した男が言う、「余儀なく動物園のオリを追い出された以上は、もう別のオリに入ろうなどと思わずにですな、自分で自分のエサを探して来る。それが、長い間忘れておった自分というものを取り戻すことになるかもしれん」との言葉が印象に残る。



 記事「ある不起訴」は、収賄容疑で逮捕された男が不起訴になっていたことを知った記者(逮捕された時に4段見出しの記事を書いた)が、なぜ不起訴になっていたのかを追跡取材したもの。シロだったのではないか、記事が間違っていたのではないかとの不安を秘めながら記者は取材を進める。不起訴の理由を各方面で追うほどに「真実」はぼやけて来る。言い換えるなら「真実」は一つではない。



 記事はそこで終わるが、「真実」が一つではないことは現実社会では、そう珍しくないだろう。一方で新聞記事は、「真実」を断定して書くのが基本。ネットなどで様々な視点からの情報発信が行われるようになった現在、新聞に対する批判が増えているのは、そんなところにも原因があるのかもしれない。