望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ドキュメント

 大事件が起きると新聞には、事件の発生から、その後の推移を客観的事実に絞って時系列で列記した「ドキュメント」記事が掲載される。記者の書く記事は、事件の多くの事実の中から何を取り上げるか、何に焦点を当てるか等によって違って来る。そこには、記者やデスクなどの主観(判断)が入り込む。そうした記事とのバランスをとって、事件の全体像を伝えるために「ドキュメント」がある。



 例えば福島第一原発事故では、3月11日の「午後3時42分 津波により非常用ディーゼル発電機が使用不能に。全交流電源を喪失」「午後4時36分 1、2号機で緊急炉心冷却装置の注水不能に」などと、起こったこと、分かったことを時系列でびっしり書く。このドキュメントは、後から事件を振り返る時に役に立つ。



 ただ、福島第一原発事故のように、次から次へと新たな事実が判明し、関係各組織の記者会見が続くようなケースばかりではない。事件が膠着状態になり、関係者の動きも止まったようになる場合、ドキュメントは短い記事にならざるを得ない。大事件ともなるとテレビ中継も入るが、動きのないドキュメントに読者の関心はあまり高くない。



 このドキュメントに新しい要素を加えて、読者の強い支持を得たのが読売新聞大阪社会部だ。1979年1月の三菱銀行北畠支店襲撃事件。行員を人質にして梅川昭美が立てこもり、動きが止まった。ドキュメント記事も短くならざるを得ない。ところが、ゲラ刷りを見た黒田社会部長が「動きがないというても、われわれ新聞記者は動いてるやないか。それを書け」。



 そうして、事件の推移に、多くの記者の動きや読者からの電話による声などを加えて、事件が巻き起こした様々な動きを列記したドキュメント記事が誕生した。そうした経緯を、事件の全容とともに描いたのが「ドキュメント新聞記者」(読売新聞大阪社会部、角川文庫、84年刊)だ。



 事件の取材には多くの記者が投入され、それぞれの記者が取材して、被害者の名前、襲撃犯の身元、現場の様子などをつかむ。それらの「断片」を組み合わせて記事がまとまり、紙面ができて行く。その様子も、事件の進行とともに、「ドキュメント新聞記者」は伝えている。



 ネット時代になって情報発信が多様化し、メディアが相対化されたこともあって、新聞への批判も増えているが、大事件における新聞記者の取材活動と記事が出来上がって行く様子を垣間みると、新聞も捨てたものではないという気になって来る。作り手の発想次第で紙面は活性化する。もちろん、現在の新聞記者が当時の大阪社会部と同質であるかどうかは、じっくり検証する必要はあるが。