望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

白人至上主義

 白人至上主義とか白人優越主義と呼ばれる考え方がある。白人は有色人種より優れているとする考えだが、なぜ、そうした考え方が生じたのか。言い方を変えるなら、なぜ、そうした考え方が必要だったのか。それは、白人による有色人種の支配を無条件に肯定するためだった。

 米国ではアフリカからの黒人を奴隷として売買し、無報酬で労働させた。黒人を人として扱わず家畜同然に扱うことを正当化するためには、黒人が白人と同等の人間ではないと見なすことが必要で、黒人ら有色人種は白人よりも劣った存在とし、白人が支配者として黒人ら有色人種を使役することを容認するためには白人至上主義が都合が良かった。

 欧州各国はアフリカ、中東、アジア、南米など世界に植民地を持ったが、植民地の人々を対等の関係には設定せず、劣った存在とみなし、植民地から収奪することを正当化するには白人至上主義が便利だっただろうし、必要だった。

 植民地の大半が独立することにより植民地支配は過去のものとなり、独ナチスによるユダヤ人の大量虐殺の影響などもあって白人至上主義などの発想は排除すべきものと見なされるようになった。米国でも、奴隷制が否定されて多民族が共存する社会との意識が一般化し、白人至上主義は忌避されるようになった。

 米トランプ大統領の発言が批判されたのは、第一に、米国社会が封印したはずの白人至上主義を容認している懸念、第二に、衝突した双方に責任があると双方に距離をとってみせたのは、容認すべきではない白人至上主義を結果として弁護することになるからだ。

 利害を争っている対立から第三者が距離をとりつつ、善悪などを決めず客観的に対立を眺めるのは、時には必要なこともあろう。しかし、白人至上主義など社会の規範に反するとされているものに、あえて距離を置くことは、少なくとも政治家としては不適当な行動となる。

 白人至上主義にすがる白人とは、白人であることが自尊心の対象であり、白人の優越を誇示するために差別する対象(有色人種)が必要な人々だ。おそらく何らかの被害者感情めいた閉塞感も持っているかもしれない。被害者感情は、自己流の理屈や反社会的な行動を正当化するためには欠かせない道具である。