望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

黒人差別を批判するのは簡単

 デオキシリボ核酸(DNA)の二重らせん構造の発見で1962年にノーベル医学・生理学賞を受賞したジェームズ・ワトソン博士(79)がかつて訪問中の英国で、「黒人は白人よりも知性が劣る」とも受け止められる人種差別的発言をし、批判を浴びて、ニューヨークにあるコールド・スプリング・ハーバー研究所の会長職を辞任した。

 博士は批判を受けて弁明したが、時すでに遅し、人種差別を肯定するような思考・発言は弁明の余地なしだった。欧米社会では、人種差別は容認できないとの基本合意が社会的に成立している。実際には、世界各国にはまだ各種の差別が存続しているし、アメリカでも黒人が完全に白人と平等になったとはいえないが、差別はいけないということは社会の共通認識となっているようだ。

 07年に公開された映画「ヘアスプレー」は踊りと歌が楽しいミュージカル映画だが、黒人差別反対を絡ませている。時は1960年代のボルティモア。地元TV局が夕方放送している、地元の若者が参加する歌と踊りの番組に夢中な高校生が主人公。背が低くて太っているとオーデションでは落とされたが、ひょんな切っ掛けで番組に出演できるようになった。番組出演者は白人だけで、月に一度のみ黒人が出演できる日があるが、ディレクターはそれを廃止。黒人らは抗議デモをし、そこに主人公も加わる。差別に対する問題意識よりも友情から発した行為だが、それが番組を変える切っ掛けになる……。

 映画「ヘアスプレー」は、人種、体型などによる差別を軽妙に批判しているように見える。しかし、あの映画はミュージカルで、踊りと歌を楽しむのがメイン。つまり、差別批判は、誰もが納得し、同意するテーマとして持ち出されたのだろう。心に重く残るようなものではなく、でも、「ああ楽しかった」だけで済まさないように、心に少し残る“正しい”ことを持ち出す。観客は踊りと歌を楽しみ、差別の奇妙さ(意識の古さ)を笑い、さらに“正しい”ものを見た気分も少し残って、満足して帰る。

 現在のアメリカで黒人差別を批判することは“正しい”ことであり、現在のアメリカでは、アラブ系やアジア系に対する差別問題についても問題提起すべきだろう。差別は個人を対等な人間として看做さないところから発する。黒人差別反対を今言うことには、たいして苦労はない。だから、観客も安心して映画を楽しみ、黒人差別を続けようとする登場人物を安心して笑うことができる。