ある程度の親しい仲だったら、建前で話さず本音を話すのは許されることだろう。話す内容だけではなく振る舞い方も同様で、誰にでも、うっかり軽いボディタッチなどすると、相手は親しみよりも違和感や警戒感を持ったりする。仕事上だけのつきあいで、仕事に関すること以外は話したことがないという相手には、互いの立場をわきまえて話し、振る舞うことが必要だ。
建前ばかりでは面白くないからといって、建前で話し、振る舞うべき場でありながら、無邪気に本音で話したりすると“失言”になったりする。周囲が、「変な人だなあ」などと思いながら聞き流してくれればいいが、問題発言だと騒ぎ始めたりすると、弁解してもなかなか聞き入れてはもらえず、謝罪するハメになったりする。
建前と本音では、本音のほうがウケたりすることがあるので本音のほうが“正直”でいいだろうと、つい勘違いする人もいようが、人間社会は多くの決まりごと(明文化されていないものも多い)で成り立っているので、実は建前のほうが優先される。
建前を話すことを要求されるポジションも多い。例えば、公人。自分を長とする組織が継続して実施していることに、その人が個人としては否定的であったとしても、組織の長として発言し、振る舞うことが要求される。自分の批判の自由を優先させたいのなら、そんなポジションにつくべきではない。
また、公人など特別なポジションにない人でも、建前を優先させて振る舞わなければならない場はけっこう多い。その人が、女性を蔑視したり、差別を容認したり、弱者を排除することなどに共感を覚えていたとしても、不用意に“本音”を披露すると、周囲から違和感を持たれたりする。現代の普遍的な価値観として認知されているものとの距離感だけが浮かび上がるからだ。
一方、TVのバラエティー番組などでタレントが本音で話す(or 本音で話すことを装う)のがウケたりする。建前に終止していては、笑いを取ることはできまい。視聴者も、バラエティー番組やタレントに良識を求めているのではないから、そこでの“本音”も笑って聞き流してくれる。だが、番組を離れて、建前を話さなければならない場やポジションでタレントがうっかり“本音”を話したなら“失言”になろう。
そこでタレントが、以前は「本音を語っても、皆が喜び、喝采してくれたのだから、本音を話して何が悪い」と、建前を話すべき場やポジションであることに気付かず(or認めようとせず)、反論を試みたりする。それは本音を繰り返すことになるので、ますます場違いとなり、ポジションに期待される見識との乖離を広げていく。