望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

腹話術とマスク

 マスクをつけていると商売ができなくなるのは腹話術士。腹話術士は口を動かさず、しかし、声がどこかから聞こえてきて、腹話術士が持っている人形の口が動いて、あたかも人形が喋っているかのように見せるのが芸だ。下手な腹話術士は口が動いてしまって誰が話しているのかが観客にすぐ判るが、上等な腹話術士は口を動かさない。

 観客に口を見せ、動いていないと確認させることが腹話術士には必要だが、マスクで口を隠してしまっては芸が台無しだ。言い方を変えると、マスクをした腹話術士には誰でもなることができよう。マスクの下で声色を変えて話し、手に持った人形を大袈裟に動かして見せれば、そんな芸かと早合点して楽しむ観客がいるかもしれない。

 マスク着用が一般化して、マスク姿で話すことが日常化した。ニュース映像では取材する側もされる側もマスク着用で話し、街歩き番組ではタレントも土地の人もマスク着用で会話し、スポーツなどの観客席にはマスク姿の人々が散在する。マスクで人々の口元が見えずに声だけが伝わってくる日常になった。マスクの中の口が動いていることを忘れたなら、腹話術の声を聞いているような気にもなる。

 マスク着用が増えて、以前は会話する相手の口元も意識せずに目に入っていたことに気がつく。視線を交わしながら、口元を含め相手の顔全体を見て、話の重要性や軽重、熱意のほど、真贋などを判断していたのだろう。マスクで顔の下半分、時には顔の3分の2が隠されている状況では表情をうかがい知ることは困難で、言葉と目の動きだけが判断材料だ。

 何かを隠すためにもマスクは使われてきた。以前からタレントらが私用で出歩く時にはマスク着用で大きめの帽子をかぶるなどというが、その姿は人混みの中では逆に目を引く特異な様子にもなった。誰もがマスクを着用するようになってタレントらは気軽に出かけることができそうだが、今度は本当に目立たなくなるかも。

 マスクで顔が隠れるから、歩きながらアッカンベーと舌を出している人がいても気がつく人はほぼいないだろうし、無精髭を伸ばしたままの男性やマスクの下がすっぴんの女性もいるだろう。女性といえば、マスク着用で美人に見える女性が増えた気がする。優美な弧を描く眉の下に目もとクッキリ、ばっちりメークで目力強く、気合が入っている様子。化粧のポイントを絞ったので訴求力が強くなったか。

 口元だけの透明フェイスシールド着用なら、観客に口元を見せなければならない腹話術士に最適そうだ。だが、透明フェイスシールドは顔面との間隔が空いていて、着用者がウイルス保有者であった場合、マスク着用時よりも大量にウイルスを周囲に拡散させるだろう。透明フェイスシールド着用時にもマスク着用が必要だとすると、腹話術士の商売はまだ困難そうだ。