望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マスクと強制

 最近、建物内や公共交通機関内でマスクを着用していない人を見ることはほぼないが、行き交う人がまばらな路上ではマスクをつけていない人を見かけることは珍しくない。密になっていない環境なのだから、マスクの着用は個人が自由に選択することだ。だが、マスクをつけていない人を、とがめるような目で見るマスク着用者がいたりする。

 ただ、面と向かって「マスクをつけろよ」等と言う人はほとんどいない。「密ではない状況だから、マスクをつけるかどうかは個人の自由だ」等と反論されると、引っ込みがつかなくなってトラブルになる可能性があるから、とがめるような目でマスク非着用者を見るだけで済ます。マスク着用が義務だと誤解しているからマスクの非着用に敏感に反応するのだろう。

 マスク着用の目的は、咳やくしゃみによる飛沫の拡散をマスクで防ぐことだ。新型コロナウイルスでは無症状の感染者が多いので、誰をも感染者だとみなして、飛沫に含まれるウイルスの拡散を抑えるため全員のマスク着用が呼びかけられた(ウイルスの侵入をマスクが防ぐ効果は限定的で、マスクだけではウイルス侵入を防ぐことは難しい)。

 飛沫の拡散を防ぎ、感染を拡大させないことがマスク着用の狙いだとすると、行き交う人がまばらな路上ではマスク着用の必要性は低下する。飛沫にウイルスが含まれていたとしても周囲に人がいなければ感染拡大は起きない。3密の環境ではマスク着用が求められるが、3密ではない状況でのマスク着用は個人の判断による。

 他人にマスク着用を強制したがる人々はマスク着用が義務だと誤解しているが、自分は正しいと思い込む。厚労省や各自治体などはマスク着用を呼びかけているが、法に基づく強制ではない。国などの指針に過剰に適応しようとしつつ、国などと一体化して国の後ろ盾を得たと勘違いした人たちが「マスク警察」を演じるのだろう。国の方針などに過剰に適応しようとする人々はいつの時代にも存在する。

 マスク着用には煩わしさがつきまとう。先日、混んでいる商業施設内でフェイスガードだけをつけて買い物している人がいた。フェイスガードだけでは飛沫が拡散していると明らかなため、その人の周囲には人が寄り付かない。マスクよりフェイスガードだけのほうが煩わしさはないだろうが、感染予防には役立たない。
 
 冬を迎え、メガネが曇るという煩わしさが加わる。マスク着用で寒い外に出るとメガネが曇り、暖房されている建物内などに入るとメガネが曇りと繰り返す。雪国で暮らす友人は、冬には路面が凍り、メガネが曇ると足元がよく見えず、危ないと感じ、冬は鼻だしマスクにしているという。鼻だしマスクにするとメガネは曇りにくく、路面状況をしっかり見ることができるので、冬は歩行者が減るから「鼻からの飛沫拡散は勘弁してもらう」と友人。