望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





繰り返されること


 政治家の「失言」には2種類ある。一つは、講演などで自分の考えを自分なりの論理で話したが、その一節が不適切だと批判を浴びるケース。この場合、「失言」はその政治家の主義主張と密接に絡むので、政治家は安易に発言の撤回・取り消しなどをせず、むしろ、役職にある時には辞任のほうを選択することが多い。



 もう一つは、立ち話や、支持者などの仲間内の会合で、気を緩めたのか、持ち出さなくてもいい例えなどをつい言ってしまうケース。思いつきで言葉を発した本人は、批判を浴びるとすぐに謝罪・撤回するとともに、自分の「真意」は別だと説明しようとする。だが、それは自己の発言の正当化だけを狙っているように見えるので、沈静化にはさっぱり役立たなかったりする。



 失言では何回も批判されてきた麻生氏が2013年、また、やった。今回はナチスを持ち出し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述べたから、ナチス肯定の動きに敏感な海外からも批判が寄せられた。



 「盗人にも三分の理」とは「どんなことであっても、つけようと思えばそれなりの理屈がつくものだ」の意味だが、「悪事を働いた者にも、それなりの理由はあるものだ」との意味でも使われる。麻生氏の発言は、「悪事を働いたナチスの行為にも、それなりに評価すべき点もある」てな意味にも解釈できる。



 ナチスのやったことを肯定的に言ったように受け取られては大変と麻生氏は発言を取り消したが、ナチス肯定は欧米の政治家にとっては絶対的なタブーだ。なんでナチスを持ち出したのだろうか、麻生氏は。



 新聞が伝える麻生氏の発言全文を読んだが……脈絡がない。おそらく、その場で思いつくままにだらだらと話したのだろう。だが麻生氏は30年以上の議員歴を持ち、首相も経験した政治家である。方々でスピーチを求められる機会は多いだろうし、求められれば、原稿なしでとっさに気の利いたことを言う術も身につけているはずと信じたいが、繰り返される「失言」を思い返すと、実態は違うか。



 批判されると麻生氏は、すぐに撤回したり、「真意」は違うと弁明に務めるので、確信犯的に微妙な発言をしているのではないようだ。つまり、口が滑りっぱなし、か。つい軽口が過ぎて、不適切な例えなどを言ってしまっても、許されるポジションに自分はいると勘違いしているようだ。