望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





贈り物

 パキスタンの民放TV局が2013年、ラマダンに合わせて放送している生放送の番組の中で、特別企画としてスタジオ観覧者の、子どものいない夫婦に赤ちゃんを「贈り物」として渡し、視聴率狙いで赤ちゃんを「景品」にしたと欧米メディアから批判された。



 渡された赤ちゃんは、パキスタン南部カラチで置き去りにされ、慈善団体に保護された子で、その慈善団体と夫婦は養子縁組の話し合いを進めていたという。ただ、番組内で赤ちゃんが渡されることを夫婦は知らされていなかったそうだ。養子を欲している夫婦に“捨て子”を斡旋し、夫婦が喜ぶ様子を“感動ドラマ”として放映することを番組が狙ったものだろうが、何か釈然としないものが残る。



 番組サイドは、養子縁組制度を広めることが目的だったとし、赤ちゃんを受け取った夫婦が養父母となる資格があるかどうかは慈善団体のチェックを受けていたとする。その通りなら、傍から口出すことはなさそうだが、TV番組で“サプライズ”として夫婦に赤ちゃんを渡すという演出が妥当だったのか疑問が残る。



 一方で、欧米メディアの批判に同調する気にもならない。パキスタンの捨て子の事情には詳らかではないが、欧米よりも捨て子はおそらく多いだろう。そして、おそらく一人ひとりの命の“比重”も欧米よりは軽い。欧米より孤児擁護支援は手薄だろうから、貰い手のない捨て子は、運良く成長できたとしてもストリートチルドレンになる確率が高いと思われる。



 世界には、親を失った子どもや家出をした子どもなどのストリートチルドレンが数千万人から1億人以上いるという(石井光太著「絶対貧困」)。そうしたストリートチルドレンは過酷な環境の中で生きざるを得ない。そうした状況は石井氏の諸著作に記されており、1人でも2人でも捨て子が安定した家庭に貰われるのなら、少々のことには目を瞑ってもいいかなという気にもなる。



 番組サイドにも欧米メディアにも“悪意”はなく、それなりに正論なのだろうが、番組サイドに立っても欧米メディア側に立っても、パキスタンでの捨て子が本当に尊重されているようには感じられない。これが、釈然としない引っかかりだ。