弁当箱のふたを開けると、そこにアニメのキャラクターや動物、芸能人の顔などが登場するというキャラ弁はすっかり定着したようだ。ご飯の上に海苔やソボロなどを使って描くものから、オムスビがキャラクターになっているもの、ウインナーやタマゴに表情がつけられたものなど、手法は発達をし続けている。
たこさんウインナーなどオカズを楽しく見せるという発想は古くからあったようだが、弁当箱の中で、何かのキャラクターを表現するというキャラ弁は、日本の主婦がブログで継続して紹介するようになってから、広まったようだ。
実際に学校などでキャラ弁の比率がどのくらいなのかは、その種のデータを見かけたことがないので分からないが、本屋には関連書籍が並び、ネットで検索しても、キャラ弁のレシピサイトはけっこうあるので流行っているのだろう。
キャラ弁を積極的に評価するなら、子どもの好き嫌いを治すために、食材の存在感よりもキャラクターを目立たせて、食べるようにさせるという効果がある。でも、好き嫌いを治すのなら、メニューの工夫など他にも方法は多くあるだろうから、やっぱりキャラ弁は親の表現意欲の発露かも。
親がつくったキャラ弁を持たされた子どもは、お昼に弁当箱のふたを開けて、キャラクターを発見して喜ぶのだろうが、教室の子どもたち全員がキャラ弁を持ってくるはずもないので、見せ合って自慢げに食べるのか、こっそりと見られないようにして食べるのか、キャラ弁が食べられている現代の学校事情も知りたいものだ。
一昔前なら、弁当箱のふたを前に立てて、上から顔を覆いかぶせるようにし、よそからは見えないようにして食べるという光景が、学園ドラマなどで演じられていた。オカズが少なく弁当箱の中の4分の3は白メシだったという時代だが、現代はオカズが半分以上にもなるという時代なので、キャラ弁も、豊かになった食生活を反映したものなのだろう。
キャラ弁のキャラクターは、食べられることで消える運命だ。飲食店での凝った料理も、美しい装いで提供されるが、箸を付けたり、ナイフとフォークを使うたびに形が崩れていくものの、多くの場合は、美味しいものを食べたという満足感が残る。そういえばキャラ弁の味については触れられることはない。親の“愛情”が詰められているのだから、まずいはずはない(はず)。