望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





焼そばにも歴史あり

 カリッと焼いた麺に、具だくさんのアンが乗っている焼そばを名物にしている中華料理店は珍しくない。暑い夏に熱いスープに入っている麺類を食べると汗だくになるが、焼いた麺に熱がこもっている焼そばを食べても結構汗をかいたりする。だから、冬は熱いスープに入った麺類の出番だが、焼そばを食べても体が結構温まる。



 焼そばは、麺の上に乗せる具次第で様々な個性を演出する。まちおこしを目的とする「B-1グランプリ」でも、全国各地から様々な焼そばが出展された。例えば、福島の浪江焼麺、岡山のひるぜん焼そば、宮城の石巻茶色い焼きそば、青森の黒石つゆやきそば、北海道の北見塩やきそば、秋田の横手やきそば、静岡の富士宮やきそばなど。



 これら以外にも全国には、その土地、その店でしか食べることができないような焼そばメニューが“埋もれて”いるだろうから、「全国焼そばマップ」なんてものをつくることができそうだ。麺の種類、ソースの種類、麺と具材の炒め方、具に使う食材、トッピングなどで全国の焼そばは分類され、系統図めいたものが浮かび上がるかもしれない。



 焼そばは日本で独自に発展した料理だが、ルーツは中国の、麺を炒めて作る料理「炒麺」という。炒麺の種類は多く、醤油味や塩味が基本。焼そばと異なるのは、麺に油がじっとりと絡んでいること。麺を炒める時に使う油の量が多そうで、本格中華料理店で出される炒麺は、食べ終わると皿に油が一面に残っていたりする。



 焼そばは日本では戦後に広まった料理とされ、当初は駄菓子屋で子供のおやつとして売られ、60年前くらいから家庭でも食べられるようになったともいう。一方で、戦前の浅草で既にソース焼そばが食べられていたともいい、当時の浅草は大繁華街だったのだから、多くの人に馴染みの料理だったかもしれない。



 ソース味のお好み焼きの店は浅草では昭和初期に誕生しているというから、焼いた麺にソースを絡ませた焼そばが当時の浅草で食べられていた可能性はありそうだ。焼そばという日常的な料理で、食べられるようになってから百年にも満たないのに、いつから食べられていたかがはっきりしないというのは不思議な気がする。



 ラーメンもルーツは中国だが、日本で独自に発展した。焼そばも同じだが、“誕生”が早いラーメンの中華麺を使って、ソースで炒める焼そばが考案されたのか……など歴史の謎は広がる。焼そばといえば、お祭りの屋台の定番でもある。広い鉄板で麺と少しのキャベツ、もやしを手早く炒めてパックに入れただけ。それでも美味しく感じたりするのだから、焼そばの世界は奥深い。