望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民主主義と民意の反映

 

 民主主義の原則は、議会や政府が主権者の意思を反映して形成されることだ。だが、そうして形成された議会や政府が、一部または大部分の民意に反するような政策を選択することがある。それで、反政府デモなど大規模な街頭行動が起きたり、民主主義の“限界”が議論されたりする。

 主権者は、数年に一度だけしか意思表示ができないことに、もう我慢ができなくなっているのかもしれない。様々な情報が次々に流れ、様々な課題・問題が次々に提起され、政府や議会は対応に迫られる。選挙公約などに示されていなかった事柄が次々に議論の俎上に上がるようになったりするが、主権者の声はほとんど無視される。選挙で議員や大統領を選んでも、次の選挙まで主権者は傍観するしかない?



 主権者の意思を政府や議会にもっと反映させるためには、二つの方法がある。一つは、個別の課題に対する主権者の賛否を問う直接投票制度を導入し、議会や政府の決定に民意を細かく介入させること。もう一つは、議員の任期を1、2年に短くし、常に“最新”の民意を反映させた議会にすること(大統領などの行政職の任期の短縮は、国政の安定性を損なう可能性がある)。



 直接投票制度は民意をストレートに反映できるようだが、投票率が低かったり、動員やボイコットが行われる可能性があり、必ずしも「正確」な民意が示されるとは限らない。また、誰の判断で直接投票を実施できるかという制度設計の難しさもある。例えば、増税を求める政府が、増税の賛否を国民投票にかけたがるはずもない。



 議員の任期を1、2年に短縮することは、主権者の意思を議会に反映させやすくはなるが、選挙が終わると議会や政府に任せるしかなという仕組みに変わりはない。例えば、1年という任期は短いが、1年間でも経済状況、社会状況、国際情勢などは激変するので、判断力の確かな人物を選出しなければ、議会が民意から逸れていくことはあり得る。



 議会や政府が民意を反映していないと主権者が感じるのは、議会や政府からの情報発信(説明)が不充分で、その決定に納得しないからだ。主権者は白紙委任したつもりはないのに、議会や政府は主権者から白紙委任された気でいることが、説明不足を招いているのかもしれない。



 世界各地で、政府や議会の決定に抗議する反政府デモなどの街頭行動が相次ぐ。これは民意を示すストレートな方法だが、それが一部の民意なのか、大多数の民意なのかが判別しにくいという弱点がある。ある民意の強さを激しい抗議活動は示すことができるかもしれないが、民意の「量」を示すものではない。



 自由な選挙により示された主権者の意思を反映した議会や政府を構築し、その議会や政府に常に主権者の意思を反映させること。これが、世界の民主主義にとっての現在の課題なのかもしれない。数年ごとの選挙に加えて、主権者の意思を適時反映させる仕組みを各国がそれぞれに築くことが、民主主義を強靭にするだろう。