望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

クジラと食文化

 日本が南極海で行っている調査捕鯨について国際司法裁判所は2014年、科学的研究のためとは認められないと中止を命令する判決を下し、日本では「食文化を失う」「日本の食文化を守りたい」などの反応が出た。日本でクジラ料理は既に日常的には食べない特別なメニューになっているから、食文化として保存すべき対象となっているのだろう。



 沿岸で捕ったクジラを食べることは欧州を含め世界で古くから行われていたが、沿岸でクジラが捕れなくなるにつれて多くの地域でクジラ肉を食べる機会が減り、やがて食べなくなった。酸化しやすいクジラ肉は保存が難しいから、遠くの海で捕ったクジラ肉を持ち帰っても、食えたものではなかったのだろう。一方、日本など沿岸でクジラが捕れるところでは鯨食が残り、日本では敗戦後の食糧難の時代にクジラ肉が大量に消費された。



 人間は手に入るものを食べて命をつないできた。大昔の狩猟採集の時代には居住地周辺のものを食べていたのだろうが、農耕が始まり、やがて商品として食糧が流通するようになって、食材の種類が増えた。流通が国際化するにつれて、「手に入る」範囲が世界に広がり、新しい野菜、果物、魚介類、加工食品なども食卓に加わった。流通や家庭における冷蔵保存技術の発展も食材の増加を促した。



 手に入る食材の種類が増えると、食文化は変化する。日本の食文化の基本にあるのは米食だろうが、敗戦後に米国から小麦が大量に輸入されるにつれ、パンや麺など小麦粉食が一大勢力になった。肉料理ではハンバーグが一般的になり、家庭でクジラ肉が食べられることはほとんどないであろう。米国からは各種のファストフードも日本に上陸、食文化を大きく変えた。



 一昔前には「薬臭い」といわれたコーラは今ではフツーの飲料品となるなど、新しい食品は味覚を変える。一方で魚は、都会ではパックされて切り身で売られるようになり、野菜には、土はつかずに、生産者の名前がついていたりするなど、食品の流通スタイルは変化し、それにつれて家庭での調理法も変化する。もちろん、こうした変化は日本だけではなく、世界中で起きている。



 世界中で新しい食品、料理が広まり、それにつれて味の好みが変わっていく中で、各国の食文化はなお「守らなければならない」ものなのだろうか。食べるものに困らない状況になっても「守る」べき食文化とは、食生活の必要から要請されたものではなく、選択の自由という象徴的な意味合いが強そうだ。それに、伝統的な食文化といったって、その伝統を検証すれば、様々な変化を繰り返していることが見えてきたりする。



 クジラ肉を食いたいという人が、欧米から「食うな」と強制されても従う必要はなく、食いたいものを食えばいい。法規制などがなければ、食いたいものを食うのは個人の権利であり、尊重されるべきだ。味覚は人様々で、標準化できるものではない。ただし、「伝統の食文化だ」などと格好をつけると、味覚も食文化も変化し続けていることが見えなくなりそうだ。