クール・ジャパン推進というと、アニメや漫画、日本食、ファッションなどで日本発の“かっこいい”ものを外国に売り込み、マーケットを広げようという狙いの戦略。製造業では海外生産が増え、人口減少などで国内市場の拡大が頭打ちとあって流通業も停滞気味。そんな中で、成長が見込めると予算がつき、官民が群がっている印象だ。
何をクールと感じるかは個人により様々だし、国により社会により様々に変化する。だから日本人が見過ごしていたものを外国人がクールと捉えて賞賛することは珍しくない。その代表が浮世絵だろう。輸出商品の包装やクッション材として使われた浮世絵が仏で高い評価を得、世界的に独特な美術表現として認められたことはよく知られている。
現代で言えば、日本では高尚なものとは見なされていなかった漫画やアニメが、外国では多くのファンを獲得しており、それが日本にフィードバックされて、クール・ジャパン推進の先導役に据えられた。スシやラーメンなど日本食も、外国で人気を得ていることが日本にフィードバックされて、マスコミなどで大きく取り上げられるようになった。
つまり日本の何がクールであるかを決めるのは、外国での評価だ。外国でウケている日本発祥のものがクール・ジャパン推進の対象になる。これでは日本人の主体性がないようだが、クール・ジャパン戦略は商売が目的なのだから、「マーケットで売れるものを売る」のは当たり前。それに、一儲けしようと群がった官民の連中に、日本の何がクールなのか独自の判断をさせたって、独善的になるのがオチだろう。
ところでクール・ジャパン戦略には元ネタがある。それは英の「クール・ブリタニカ」と韓国の「クール・コリア」。他国の戦略を真似して、漫画やアニメなどの外国での人気に便乗して稼ごうという発想は、まったくクールには見えないのが辛いところだ。クール・ジャパン戦略にトホホ感がつきまとうのは、こんなところから来るのかもしれない。
東京が五輪の開催地に決定したが、先のロンドン五輪の開会式や閉会式では、世界中にファンを獲得し、大いに外貨を稼いだビートルズなど英の音楽を大々的にアピールしていた。クール・ジャパン推進に関係する連中が、絶好のアピールの機会だと東京五輪に群がることは容易に想像がつく。
開会式や閉会式で、アニメや漫画のキャラクターが大集結したり、スシやテンプラ、ラーメンなどの着ぐるみが現れたり、“カワイー”だけの口パク歌手が次々と登場したり……なんて想像するとげんなりする。力士や歌舞伎役者も登場しなくていい。本当にクールと感じられる演出を期待したい(が、無理だろうという予感)。